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2021年7月19日 (月) 15:55時点における版
大河内 信威(おおこうち のぶたけ、1902年7月24日 - 1990年7月12日)は、日本の美術史家、評論家、実業家、社団法人日本陶磁協会第5代理事長。
来歴・人物
理化学研究所第3代所長・理研産業団創始者で貴族院議員を務めた大河内正敏の長男。旧制浦和高校卒。在学中から東京帝国大学を中心とする学生運動組織「新人会」に参加。小川信一のペンネームで、左翼文化団体の指導者となり、『日本資本主義発達史講座 第2部 資本主義発達史』の「労働者の状態及び労働者運動史」などの著作を発表。戦時中は理研コンツェルンの企業の役員を務め、戦後は日本陶磁協会理事長などを歴任した。
後に河原崎長十郎と結婚する河原崎しづ江と結婚していた時期がある[1]。
経歴
- 1927年、小川信一のペンネームで、関鑑子、村山知義、久板栄二郎、柳瀬正夢、青野季吉、林房雄、前田河広一郎、葉山嘉樹、佐野碩、千田是也、佐々木孝丸らの「前衛劇場」に参加。
- 1928年、国際文化研究所の設立に参加。左翼国際文化情報誌「国際文化」[2]を発行。
- 1929年には三木清らとともにプロレタリア科学研究所(のちに日本プロレタリア科学同盟)を結成。書記長。続いて、日本プロレタリア文化連盟の書記長となる。
- 1932年3月に検挙後しばらくして、証券の運用、土地建物の賃貸事業を行う富国工業(1936年10月設立)の役員となる。理研内に就職してくる元左翼の研究者を庇ったといわれる[3]
- 戦後は、理研コンツェルンの解体の過程のなかで、理研映画株式会社(1946年設立)の専務や東邦物産(1958年設立)嘱託を歴任。陶芸、茶道史については、本名の磯野信威または、磯野風船子、大河内風船子で著作がある。
- 1982年には、「労働者の状態及び労働者運動史」の復刻版の発刊を許可した。
著作
- 『労働者の状態及び労働者運動史』小川信一 岩波書店 日本資本主義発達史講座 1932年
- 『陶器全集 第6巻 長次郎・光悦』(磯野信威、平凡社、1958年)
- 『楽茶碗』(磯野風船子、河原書店、1961年)
- 『茶の湯古今春秋』(磯野風船子、雄山閣出版、1973年)
- 『陶磁大系 17 長次郎』(磯野信威、平凡社、1972年)
- 『茶碗百選』(大河内風船子、平凡社、1984年)
- 『日本陶磁大系 第17巻 長次郎・楽代々』(大河内風船子、平凡社、1990年)