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==人物==
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[[開成中学校・高等学校|開成高校]]から二浪して[[法政大学]][[文学部]][[歴史学|史学科]]に入学。<ref>『爆弾世代の証言』P.82</ref>その後、[[ベトナムに平和を!市民連合]]に参加し、[[バプテスト教会]]改革運動を行なう。[[全学共闘会議|全共闘運動]]を経て、[[大道寺将司]]と出会い、[[東アジア反日武装戦線]]に参加。自身が関与したグループ「狼」の名づけ親である。[[1973年]]4月から[[職業訓練校]]の[[機械科]]で[[爆弾]]製造に必要な技術知識を身につける。その後、爆弾製造の中心的役割をあたり、[[三菱重工爆破事件]]をはじめとする[[連続企業爆破事件]]を起こす。[[1975年]][[5月19日]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]される。
[[開成中学校・高等学校|開成高校]]から二浪して[[法政大学]][[文学部]][[歴史学|史学科]]に入学。<ref>『爆弾世代の証言』P.82</ref>その後、[[ベトナムに平和を!市民連合]](ベ平連)に参加し、[[バプテスト教会]]改革運動を行なう。[[全学共闘会議|全共闘運動]]を経て、[[大道寺将司]]と出会い、[[東アジア反日武装戦線]]に参加。自身が関与したグループ「狼」の名づけ親である。[[1973年]]4月から[[職業訓練校]]の[[機械科]]で[[爆弾]]製造に必要な技術知識を身につける。その後、爆弾製造の中心的役割をあたり、[[三菱重工爆破事件]]をはじめとする[[連続企業爆破事件]]を起こす。[[1975年]][[5月19日]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]される。


[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]において[[1987年]][[3月24日]]に[[日本における死刑|死刑]]が確定した。このとき、「人の命のかかった裁判を書類上の"事務"として右から左に片付けてしまう最高裁判事たちの態度に激しい怒りを禁じ得ない」と表明した<ref>『インパクション』第47号、1987年5月25日発行、p.91。</ref>。
[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]において[[1987年]][[3月24日]]に[[日本における死刑|死刑]]が確定した。このとき、「人の命のかかった裁判を書類上の"事務"として右から左に片付けてしまう最高裁判事たちの態度に激しい怒りを禁じ得ない」と表明した<ref>『インパクション』第47号、1987年5月25日発行、p.91。</ref>。
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死刑執行されていないのは、かつての「狼」メンバーであり、企業爆破に関与した[[佐々木規夫]]および[[大道寺あや子]]が、[[日本赤軍]]が起こした2件のテロ脅迫事件([[クアラルンプール事件]]・[[ダッカ日航機ハイジャック事件]])の際、日本赤軍側の要求を呑んだ[[日本国政府|日本政府]]による[[超法規的措置]]として出獄し、海外において日本赤軍に合流後の消息が不明となっており、[[裁判]]が終了していないためとされている。
死刑執行されていないのは、かつての「狼」メンバーであり、企業爆破に関与した[[佐々木規夫]]および[[大道寺あや子]]が、[[日本赤軍]]が起こした2件のテロ脅迫事件([[クアラルンプール事件]]・[[ダッカ日航機ハイジャック事件]])の際、日本赤軍側の要求を呑んだ[[日本国政府|日本政府]]による[[超法規的措置]]として出獄し、海外において日本赤軍に合流後の消息が不明となっており、[[裁判]]が終了していないためとされている。


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== 著作 ==
== 著作 ==

2020年8月5日 (水) 03:48時点における版

片岡 利明(かたおか としあき、1948年6月1日[1]- )は、元東アジア反日武装戦線「狼」構成員のテロリスト。確定死刑囚。現在の姓は「益永」。東京都出身。

人物

開成高校から二浪して法政大学文学部史学科に入学。[2]その後、ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)に参加し、バプテスト教会改革運動を行なう。全共闘運動を経て、大道寺将司と出会い、東アジア反日武装戦線に参加。自身が関与したグループ「狼」の名づけ親である。1973年4月から職業訓練校機械科爆弾製造に必要な技術知識を身につける。その後、爆弾製造の中心的役割をあたり、三菱重工爆破事件をはじめとする連続企業爆破事件を起こす。1975年5月19日逮捕される。

最高裁において1987年3月24日死刑が確定した。このとき、「人の命のかかった裁判を書類上の"事務"として右から左に片付けてしまう最高裁判事たちの態度に激しい怒りを禁じ得ない」と表明した[3]

死刑執行されていないのは、かつての「狼」メンバーであり、企業爆破に関与した佐々木規夫および大道寺あや子が、日本赤軍が起こした2件のテロ脅迫事件(クアラルンプール事件ダッカ日航機ハイジャック事件)の際、日本赤軍側の要求を呑んだ日本政府による超法規的措置として出獄し、海外において日本赤軍に合流後の消息が不明となっており、裁判が終了していないためとされている。

2020年現在、死刑囚として東京拘置所収監されている[4]

著作

関連項目

出典

  1. ^ 『反日思想を考える 死刑と天皇制』(軌跡社)P.6
  2. ^ 『爆弾世代の証言』P.82
  3. ^ 『インパクション』第47号、1987年5月25日発行、p.91。
  4. ^ 年報・死刑廃止編集委員会『死刑と憲法 年報・死刑廃止2016』インパクト出版会、2016年10月10日、212頁。ISBN 978-4755402692