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'''タルチジオ・ベルトーネ''' ('''Tarcisio Bertone'''、[[1934年]][[12月2日]] - ) は[[イタリア]]出身のカトリック[[司祭]]、[[枢機卿]]、[[サレジオ会|サレジオ会士]]。 |
'''タルチジオ・ベルトーネ''' ('''Tarcisio Bertone'''、[[1934年]][[12月2日]] - ) は[[イタリア]]出身のカトリック[[司祭]]、[[枢機卿]]、[[サレジオ会|サレジオ会士]]。 |
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2019年10月12日 (土) 10:15時点における版
タルチジオ・ベルトーネ Tarcisio Bertone | |
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タルチジオ・ベルトーネ枢機卿 | |
生年月日 | 1934年12月2日(89歳) |
出生地 | イタリア王国 トリノ県ロマーノ・カナヴェーゼ |
在任期間 | 2006年9月15日 - 2013年10月15日 |
教皇 |
ベネディクト16世 フランシスコ |
タルチジオ・ベルトーネ | |
---|---|
聖職 | |
司祭叙階 | 1960年 |
司教叙階 | 2002年 |
枢機卿任命 | 2003年 |
紋章 |
タルチジオ・ベルトーネ (Tarcisio Bertone、1934年12月2日 - ) はイタリア出身のカトリック司祭、枢機卿、サレジオ会士。
経歴
1934年、北イタリア・トリノ県ロマーノ・カナヴェーゼ生まれ。1950年、サレジオ会に入会。1960年司祭叙階。教皇庁立大学で教会法などの教授を務めた。1995年、教皇庁教理省局長となり、当時同省長官のヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(前教皇ベネディクト16世)の片腕として働いた。前教皇と非常に親しいといわれる。2002年にジェノヴァ大司教、2003年に枢機卿に任命されている。
2006年9月15日よりバチカン市国国務省長官(国務長官)に就任。同長官はバチカン元首のローマ教皇に次ぐ地位で、首相に相当し、政治、外交を総括する。2007年4月4日からはカメルレンゴも兼務。2008年にはフラスカティの司教枢機卿に上げられた。
2009年12月に高位聖職者役職の定年である75歳を迎えたが、直前に教皇から任務の続行を要請され、職務にとどまった。2013年8月、後継が決まったことを受けて国務省長官の引退が受理され、2013年10月15日まで務めた。なお、カメルレンゴ職はその後も務めたが、2014年12月20日に引退し、ジャン・ルイ・トゥーラン枢機卿にその地位を譲った。
逸話
2006年にはダン・ブラウンの長編推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』の内容を「間違いだらけ」と批判して話題になった[1][2]。大のサッカーファンで、ジェノヴァのラジオ局が中継した試合で解説を務めたこともある[3]。
脚注
- ^ BBC News. Church Fights Da Vinci Code Novel 2006年3月15日
- ^ Catholic News Service. Italian cardinal: 'Da Vinci Code' plays on anti-Catholic sentiment 2005年3月15日
- ^ Catholic News Service. People person: Vatican's No. 2 man keeps high public profile 2007年2月9日