「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 14 件をウィキデータ上の (d:Q453853 に転記)
歴代ボックス追加
3行目: 3行目:
ローマ筆頭の名門のひとつ[[コルネリウス氏族]]の[[スキピオ家]]に生まれる。父は[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス]]、兄弟には[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]がいる。
ローマ筆頭の名門のひとつ[[コルネリウス氏族]]の[[スキピオ家]]に生まれる。父は[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス]]、兄弟には[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]がいる。


[[紀元前261年]]、[[ガイウス・ドゥイリウス]]と共に[[コンスル|執政官(コンスル)]]に当選、新設の[[ローマ海軍]]を率いる。そして[[メッシーナ海峡]]を巡回している際に[[リーパリ|リパラ]]がローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リパに急行するが、これは敵将[[ハンニバル・ギスコ|ギスコ]]の謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオは捕虜となってしまった。そして彼はローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。
[[ガイウス・ドゥイリウス]]と共に[[紀元前260年]]の[[コンスル|執政官(コンスル)]]に当選、新設の[[ローマ海軍]]を率いる。そして[[メッシーナ海峡]]を巡回している際に[[リーパリ]]がローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リに急行するが、これは敵将[[ハンニバル・ギスコ|ギスコ]]の謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオは捕虜となってしまった。そして彼はローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。


この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし[[254年]]に再びコンスルに[[アウルス・アティリウス・カラティヌス]]とともに当選している。
この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし[[254年]]に再びコンスルに[[アウルス・アティリウス・カラティヌス]]とともに当選している。
13行目: 13行目:
==関連項目==
==関連項目==
* [[第一次ポエニ戦争]]
* [[第一次ポエニ戦争]]
*[[リーパリ諸島の海戦]]
* [[共和政ローマ執政官一覧]]


{{start box}}
{{s-off}}
{{Succession box
| title = [[共和政ローマ|ローマ]]の[[執政官]](コンスル)
| years = 紀元前260年<br>同僚<br/>[[ガイウス・ドゥイリウス]]
| before = [[ルキウス・ウァレリウス・フラックス]]、<br/>[[ティベリウス・オタキリウス・クラッスス]]
| after = [[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]、<br/>[[ガイウス・アクィッリウス・フロルス]]
}}
{{Succession box
| title = [[共和政ローマ|ローマ]]の[[執政官]](コンスル)
| years = 紀元前254年<br>同僚<br/>[[アウルス・アティリウス・カラティヌス]]
| before = [[マルクス・アエミリウス・パウッルス]]、<br/>[[セルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオル]]
| after = [[グナエウス・セルウィリウス・カエピオ]]、<br/>[[ガイウス・センプロニウス・ブラエスス]]
}}
{{end box}}


{{DEFAULTSORT:こるねりうす すきひお あしな くなえうす}}
{{DEFAULTSORT:こるねりうす すきひお あしな くなえうす}}

2017年4月26日 (水) 04:25時点における版

グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナラテン語: Gnaeus Cornelius Scipio Asina, 紀元前3世紀、生没年不詳)は、第一次ポエニ戦争期の共和政ローマの政治家・軍人。「アシナ」とはラテン語ロバを意味する。

ローマ筆頭の名門のひとつコルネリウス氏族スキピオ家に生まれる。父はルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス、兄弟にはルキウス・コルネリウス・スキピオがいる。

ガイウス・ドゥイリウスと共に紀元前260年執政官(コンスル)に当選、新設のローマ海軍を率いる。そしてメッシーナ海峡を巡回している際にリーパリがローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リーパリに急行するが、これは敵将ギスコの謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオは捕虜となってしまった。そして彼はローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。

この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし254年に再びコンスルにアウルス・アティリウス・カラティヌスとともに当選している。

家族

関連項目


公職
先代
ルキウス・ウァレリウス・フラックス
ティベリウス・オタキリウス・クラッスス
ローマ執政官(コンスル)
紀元前260年
同僚
ガイウス・ドゥイリウス
次代
ルキウス・コルネリウス・スキピオ
ガイウス・アクィッリウス・フロルス
先代
マルクス・アエミリウス・パウッルス
セルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオル
ローマ執政官(コンスル)
紀元前254年
同僚
アウルス・アティリウス・カラティヌス
次代
グナエウス・セルウィリウス・カエピオ
ガイウス・センプロニウス・ブラエスス