「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ」の版間の差分
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2017年4月26日 (水) 04:25時点における版
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ(ラテン語: Gnaeus Cornelius Scipio Asina, 紀元前3世紀、生没年不詳)は、第一次ポエニ戦争期の共和政ローマの政治家・軍人。「アシナ」とはラテン語でロバを意味する。
ローマ筆頭の名門のひとつコルネリウス氏族のスキピオ家に生まれる。父はルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス、兄弟にはルキウス・コルネリウス・スキピオがいる。
ガイウス・ドゥイリウスと共に紀元前260年の執政官(コンスル)に当選、新設のローマ海軍を率いる。そしてメッシーナ海峡を巡回している際にリーパリがローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リーパリに急行するが、これは敵将ギスコの謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオは捕虜となってしまった。そして彼はローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。
この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし254年に再びコンスルにアウルス・アティリウス・カラティヌスとともに当選している。
家族
関連項目
公職 | ||
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先代 ルキウス・ウァレリウス・フラックス、 ティベリウス・オタキリウス・クラッスス |
ローマの執政官(コンスル) 紀元前260年 同僚 ガイウス・ドゥイリウス |
次代 ルキウス・コルネリウス・スキピオ、 ガイウス・アクィッリウス・フロルス |
先代 マルクス・アエミリウス・パウッルス、 セルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオル |
ローマの執政官(コンスル) 紀元前254年 同僚 アウルス・アティリウス・カラティヌス |
次代 グナエウス・セルウィリウス・カエピオ、 ガイウス・センプロニウス・ブラエスス |