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日刊紙として発行部数100万を超えた最初の新聞で、現在の発行部数は200万部を超える。日刊紙として世界12位、英字紙としては世界最大規模の新聞のひとつとなっている。 |
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1982年には姉妹紙 ''"The Mail on Sunday"'' が創刊された。編集傾向は最も保守的である。中間読者層(幅広い記事内容を求める読者)をターゲットとしたイギリスでは最初の新聞で、また日刊紙として発行部数100万を超えた最初の新聞でもある。長い間通常版サイズの新聞だったが、1971年からタブロイドサイズになった。 |
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ライバル紙の『デイリー・エクスプレス』(''Daily Express'')とは対象とする読者層や政治的観点が似ているが、発行部数では3倍以上の差を付け |
イギリスでは社会階層によって購読する新聞がはっきり分かれており、タイムズやガーディアンなど富裕な上流層を対象とするリベラル寄りの高級紙に対し、中下流の読者層をターゲットとしている大衆紙である。編集傾向は現編集長の意向を反映し、右派寄りで、反リベラリズムの傾向が強い。ライバル紙の『デイリー・エクスプレス』(''Daily Express'')とは対象とする読者層や政治的観点が似ているが、発行部数では3倍以上の差を付けている。 |
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『デイリー・メール』は、[[アルフレッド・ハームズワース (初代ノースクリフ子爵)|アルフレッド・ハームズワース]](後に授爵されてノースクリフ子爵)と[[ハロルド・ハームズワース (初代ロザミア子爵)|ハロルド・ハームズワース]](同じくロザミア子爵)の兄弟によって、[[1896年]]5月4日に一般紙とは一線を画す新聞として創刊された。内容を大衆向きなものとし、記事も短く分かりやすくした。また他の日刊紙が軒並み1[[ペニー]]だったなか、『デイリー・メール』は1/2ペニーとした。そのため同紙は創刊早々に大きな成功を収め、間もなく発行部数は50万部を突破した。 |
『デイリー・メール』は、[[アルフレッド・ハームズワース (初代ノースクリフ子爵)|アルフレッド・ハームズワース]](後に授爵されてノースクリフ子爵)と[[ハロルド・ハームズワース (初代ロザミア子爵)|ハロルド・ハームズワース]](同じくロザミア子爵)の兄弟によって、[[1896年]]5月4日に当時の一般紙とは一線を画す新聞として創刊された。内容を大衆向きなものとし、記事も短く分かりやすくした。また他の日刊紙 |
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[[1926年]]、発行部数が200万部を記録した。 |
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1971年 通常版からタブロイドサイズになった。 |
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1982年には姉妹紙 ''"The Mail on Sunday"'' が創刊された。 |
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[[2016年]] イギリスのEU離脱に関し、同紙は反グローバリズムの立場で連日離脱支持の論陣を張り、業を煮やした当時のキャメロン首相が社主のロザミア卿を呼んで、ポール・デイカー編集長の解任を要求した。ロザミア卿は「編集権の独立」を理由に拒否。 |
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[[2017年]]、[[英語版ウィキペディア]]はデイリー・メールからの引用を今後中止とする旨の決議を行った<ref>ウィキペディア、英紙デーリー・メールの引用禁止「信用できない」 [[AFP通信]][http://www.afpbb.com/articles/-/3117335]、また[[:en:Wikipedia:Reliable_sources/Noticeboard#Daily_Mail_RfC]]</ref>。 |
[[2017年]]、[[英語版ウィキペディア]]はデイリー・メールからの引用を今後中止とする旨の決議を行った<ref>ウィキペディア、英紙デーリー・メールの引用禁止「信用できない」 [[AFP通信]][http://www.afpbb.com/articles/-/3117335]、また[[:en:Wikipedia:Reliable_sources/Noticeboard#Daily_Mail_RfC]]</ref>。 |
2017年2月14日 (火) 22:03時点における版
種別 | 日刊紙 |
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判型 | タブロイド |
所有者 | Daily Mail and General Trust |
編集者 | ポール・デイカー |
設立 | 1896年 |
発行数 | 200万部以上 |
ウェブサイト | www.dailymail.co.uk |
『デイリー・メール』(The Daily Mail)は、1896年創刊のイギリスでもっとも古いタブロイド紙。発行部数は『ザ・サン』(The Sun)紙に次いで第2位。
概説
日刊紙として発行部数100万を超えた最初の新聞で、現在の発行部数は200万部を超える。日刊紙として世界12位、英字紙としては世界最大規模の新聞のひとつとなっている。
イギリスでは社会階層によって購読する新聞がはっきり分かれており、タイムズやガーディアンなど富裕な上流層を対象とするリベラル寄りの高級紙に対し、中下流の読者層をターゲットとしている大衆紙である。編集傾向は現編集長の意向を反映し、右派寄りで、反リベラリズムの傾向が強い。ライバル紙の『デイリー・エクスプレス』(Daily Express)とは対象とする読者層や政治的観点が似ているが、発行部数では3倍以上の差を付けている。
『デイリー・メール』は、アルフレッド・ハームズワース(後に授爵されてノースクリフ子爵)とハロルド・ハームズワース(同じくロザミア子爵)の兄弟によって、1896年5月4日に当時の一般紙とは一線を画す新聞として創刊された。内容を大衆向きなものとし、記事も短く分かりやすくした。また他の日刊紙 が軒並み1ペニーだったなか、『デイリー・メール』は1/2ペニーとした。そのため同紙は創刊早々に大きな成功を収め、間もなく発行部数は50万部を突破した。
1906年、この新聞は世界初の英仏海峡横断飛行に対して1,000ポンド、ロンドン―マンチェスター間の飛行に対して10,000ポンドの賞金を出す。1910年にどちらの飛行も成功し、賞金が支払われた(ロンドン―マンチェスター間についての詳細は1910年のロンドン・マンチェスター間エアレースを参照)。
この新聞はドイツが大英帝国に戦争を仕掛ける計画を進めているという記事を載せた。その結果、第一次世界大戦勃発の後、戦争を招いたとして批判される。大戦が勃発した際は、アルフレッド・ハームズワースが徴兵制導入を主張して論争を引き起こした。また、1915年5月21日には英雄と考えられていた当時の陸軍大臣キッチナー卿に関してこの新聞は辛辣な批判記事を載せたため、一晩で発行部数が138.6万部から23.8万部まで落ちた。株式市場の会員は売れ残りの新聞を燃やして抗議し、ボイコットを始める。当時の首相アスキスは「我が国を破壊する新聞である」と非難した。
キッチナー卿が死去した際、この新聞はその死を大英帝国の幸運と評した。 この新聞はその後、アスキス首相の批判運動を繰り広げ、1916年12月に首相は辞任する。後任のロイド=ジョージ首相はアルフレッド・ハームズワースの政府批判をかわすため、彼に入閣を要請するが断られている。
1922年、アルフレッド・ハームズワースが亡くなると、ハロルド・ハームズワースがすべての経営を行うようになった。
1926年、発行部数が200万部を記録した。
1971年 通常版からタブロイドサイズになった。
1982年には姉妹紙 "The Mail on Sunday" が創刊された。
2016年 イギリスのEU離脱に関し、同紙は反グローバリズムの立場で連日離脱支持の論陣を張り、業を煮やした当時のキャメロン首相が社主のロザミア卿を呼んで、ポール・デイカー編集長の解任を要求した。ロザミア卿は「編集権の独立」を理由に拒否。
2017年、英語版ウィキペディアはデイリー・メールからの引用を今後中止とする旨の決議を行った[1]。
注
- ^ ウィキペディア、英紙デーリー・メールの引用禁止「信用できない」 AFP通信[1]、またen:Wikipedia:Reliable_sources/Noticeboard#Daily_Mail_RfC
外部リンク
- Daily Mail Online(英語)
- The Mystery of the Daily Mail, 1896-1921 by Frederick Arthur McKenzie(英語)