「アフリカ諸国連合」の版間の差分
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2015年10月1日 (木) 12:47時点における版
- アフリカ諸国連合
- Union des Etats africains
(フランス語)
Union of African States
(英語) -
←
←
←1958年 - 1963年 →
→
→(国旗) -
公用語 英語、フランス語 首都 加盟各国の首都 通貨 各国の通貨
アフリカ諸国連合(アフリカしょこくれんごう)はマリ、ガーナ、ギニアの西アフリカ三ヵ国で1958年から1963年まで続いた国家連合。結成当初はガーナとセネガルとのガーナ・ギニア連合だったが1961年にマリが参加し、ガーナ・ギニア・マリ連合となっている。英語ではUnion of African Statesとなる。なお、アフリカ連合との混同を避けるため、西アフリカ諸国連合という名称もしばし使用される。
結成
1958年10月2日にフランス領西アフリカから独立したギニアと1957年3月6日にイギリス領ゴールドコーストから独立したガーナは経済の安定等を目的に、当時のガーナの首相であるクワメ・エンクルマと当時のギニアの大統領であるセク・トゥーレの会談より1958年11月23日に結成した。宗主国フランスからの援助が途絶えたギニアへの資金援助や二ヵ国での集団安全保障なども行い、アフリカ統一機構結成に先駆けた汎アフリカ主義に基づくこの連合の結成には大きな意味があった。
一方、フランス領スーダンとセネガルは1959年4月4日にマリ連邦を結成して1960年6月20日にフランスから独立したが長く続かずセネガルが同年8月20日に分離独立、残ったスーダン共和国はマリ共和国に改称した。だがモディボ・ケイタ初代マリ大統領はアフリカ統一思考だったため、1961年7月1日にこの連合に参加した。この時に連合名も改称した。
ケイタは統一思考であったため、国家連合から単一国家の連邦にする話が持ち上がったが、実現はしなかった。
崩壊
だがアフリカ社会主義を唱えたケイタはマリの社会主義化を押し進め、国民の不満を買ったケイタは1963年11月19日にクーデターにより捕らえられ、ケイタ政権は崩壊した。この影響を受けて、この連合も解散した。しかし、その後も三ヵ国の関係は良かった。
面積と人口
まず、この連合はあくまでも国家連合であり、単一国家ではない。また、連邦のように一つの国家になったわけでもない。その為、連合の首都は存在しない。
- 内訳 人口(推定)、面積は1962年のもの。
人口(人) | 面積(km²) | 人口密度 (人/km²) | |
---|---|---|---|
マリ | 5,259,700 | 1,240,192 | 4.2 |
ガーナ | 3,748,300 | 238,535 | 15.7 |
ギニア | 3,645,900 | 245,857 | 14.8 |
合計 | 12,653,900 | 1,724,584 | 7.3 |
なお、マリ加盟前の1958年時(ガーナ、ギニア)の面積は484,397km²。