「高橋紀世子」の版間の差分
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* [[1998年]](平成10年)[[第18回参議院議員通常選挙]]で[[参議院一人区]][[徳島県選挙区]]から[[民主党]]・[[社民党]]推薦の無所属新人候補として立候補して[[新進党]]分党直後は会派「[[無所属の会]]」加入した[[海部俊樹]]の支援も受けて[[自民党]]現職[[松浦孝治]]破り当選をする。その直後、[[首班指名]]で1回目も[[決選投票]]で初代[[民主党代表]][[菅直人]]支持、政策秘書に自身の長男の( [[1998年]](平成10年)[[第41回衆議院議員総選挙]]で[[東京7区]]から[[旧民主党]]新人で出馬し[[比例復活]]できなかった)[[三木立]]を採用。2003年夏[[中村敦夫]]の(自身は党員ではなかった[[新党さきがけ]]を前身とする)[[みどりの会議]]の会派に参加するが入党はしていない。 |
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* [[2004年]](平成16年)[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補せずに政界を引退する。<ref>[http://blog.livedoor.jp/politics/archives/629169.html 高橋紀世子氏が引退表明 参院選徳島、三つどもえの公算大 2004/5/24]</ref>。みどりの会議は同年10月解散も同メンバーが[[みどりのテーブル]]~([[新左翼]]・[[虹と緑]]合流し)[[みどりの未来]]~[[緑の党グリーンズジャパン]]を設立したが、中村・高橋は参加していない。 |
* [[2004年]](平成16年)[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補せずに政界を引退する。<ref>[http://blog.livedoor.jp/politics/archives/629169.html 高橋紀世子氏が引退表明 参院選徳島、三つどもえの公算大 2004/5/24]</ref>。みどりの会議は同年10月解散も同メンバーが[[みどりのテーブル]]~([[新左翼]]・[[虹と緑]]合流し)[[みどりの未来]]~[[緑の党グリーンズジャパン]]を設立したが、中村・高橋は参加していない。 |
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2014年8月20日 (水) 14:37時点における版
高橋紀世子 たかはし きせこ | |
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生年月日 | 1942年6月22日(81歳) |
出生地 | 東京都 |
出身校 | 立教大学 |
所属政党 | (無所属→) |
親族 |
祖父・森矗昶 父・三木武夫 母・三木睦子 伯父・森美秀 伯父・森清 従弟・森英介 |
選挙区 | 徳島県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1998年7月26日 - 2004年7月25日 |
高橋 紀世子(たかはし きせこ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本の政治家。東京都出身。元参議院議員。父は元内閣総理大臣・三木武夫。母は三木睦子。祖父は森矗昶。立教大学文学部卒業。
経歴
- 1998年(平成10年)第18回参議院議員通常選挙で参議院一人区徳島県選挙区から民主党・社民党推薦の無所属新人候補として立候補して新進党分党直後は会派「無所属の会」加入した海部俊樹の支援も受けて自民党現職松浦孝治破り当選をする。その直後、首班指名で1回目も決選投票で初代民主党代表菅直人支持、政策秘書に自身の長男の( 1998年(平成10年)第41回衆議院議員総選挙で東京7区から旧民主党新人で出馬し比例復活できなかった)三木立を採用。2003年夏中村敦夫の(自身は党員ではなかった新党さきがけを前身とする)みどりの会議の会派に参加するが入党はしていない。
- 2004年(平成16年)第20回参議院議員通常選挙に立候補せずに政界を引退する。[1]。みどりの会議は同年10月解散も同メンバーがみどりのテーブル~(新左翼・虹と緑合流し)みどりの未来~緑の党グリーンズジャパンを設立したが、中村・高橋は参加していない。
政策
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[2]。「婚姻後、夫婦が別の姓を持つことができるようにとなるのは、これはやはり当然のこと。決して男性の名前を継がなければいけないというそういう法律はないが、今は習慣的にそうなっている。やはり婚姻後は夫婦の別の姓を持てるということにすることが、男の人と女の人が平等に社会を構築していくのに大変必要」と述べる[3]。
脚注
- ^ 高橋紀世子氏が引退表明 参院選徳島、三つどもえの公算大 2004/5/24
- ^ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
- ^ 第156回国会参議院 共生社会に関する調査会 - 6号 平成15年05月07日