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'''ペカフヤ'''は、[[イスラエル王国|北イスラエル王国]]の第17代の王である。名前は[[ヘブライ語]]で「[[ヤハウェ]]は目を開いた」という意味である。
'''ペカフヤ'''は、[[イスラエル王国|北イスラエル王国]]の第17代の王である。名前は[[ヘブライ語]]で「[[ヤハウェ]]は目を開いた」という意味である。王位を世襲した最後の北イスラエル王である。


紀元前741年に父[[メナヘム]]の死去に伴い即位した。ペカフヤは父の親[[アッシリア]]政策を継承したが、2年後に反アッシリヤ派の侍従[[ペカ]]に、アルゴブとアルエと共に殺害された。
紀元前741年に父[[メナヘム]]の死去に伴い即位した。ペカフヤは父の親[[アッシリア]]政策を継承したが、2年後に反アッシリヤ派の侍従[[ペカ]]に、アルゴブとアルエと共に殺害された。

2014年6月11日 (水) 10:28時点における版

ペカフヤは、北イスラエル王国の第17代の王である。名前はヘブライ語で「ヤハウェは目を開いた」という意味である。王位を世襲した最後の北イスラエル王である。

紀元前741年に父メナヘムの死去に伴い即位した。ペカフヤは父の親アッシリア政策を継承したが、2年後に反アッシリヤ派の侍従ペカに、アルゴブとアルエと共に殺害された。

ペカフヤはダンとベテルで偶像礼拝を国策として推進した。預言者ホセアはペカフヤ時代の偶像礼拝を非難している。

参考文献

  • 「新聖書辞典」いのちのことば社、1985年
  • サムエル・シュルツ「旧約聖書概観」、1974年