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* [[國魂神社 (いわき市)|國魂神社]](くにたまじんじゃ) - 菊田郡窪田郷(現在の福島県いわき市勿来町窪田馬場72)に鎮座する、菊多国造が創祀したと伝わる神社。 |
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* [[國魂神社 (いわき市)|國魂神社]](くにたまじんじゃ) - 菊田郡窪田郷(現在の福島県いわき市[[勿来町]]窪田馬場72)に鎮座する、菊多国造が創祀したと伝わる神社。 |
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== 関連項目 == |
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2012年4月9日 (月) 16:34時点における版
道奥菊多国造(みちのおくのきくたのくにのみやつこ)は令制国での陸奥国菊多郡(きくたのこおり)(後の福島県菊田郡(旧勿来市、現いわき市)辺りにあった菊多国を支配した国造。
『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、応神天皇の時代、茨城国造の祖・建許侶命の子である屋主刀禰 (やぬしのとね、または屋主乃禰:やぬしのね)を国造に定めたことに始まるとされる。
常陸国から陸奥国へ分割された経緯を持つ当地は大和朝廷の北進が始まるまでヤマト王権の及ぶ北限の地として蝦夷と対峙し、勿来関に先立つ菊多関があったとされる。
氏神
- 國魂神社(くにたまじんじゃ) - 菊田郡窪田郷(現在の福島県いわき市勿来町窪田馬場72)に鎮座する、菊多国造が創祀したと伝わる神社。
関連項目