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2011年10月9日 (日) 01:43時点における版

広島宝塚
Hiroshima Takarazuka
広島宝塚1・2・3
情報
通称 広島宝塚1・2・3
正式名称 広島宝塚会館
旧名称 新天地劇場
広島宝塚劇場・宝塚地下劇場
完成 1951年
開館 1951年9月
閉館 2011年8月31日
最終公演 コクリコ坂から(宝塚1)
アンダルシア 女神の報復(宝塚2)
ロック 〜わんこの島〜(宝塚3)
収容人員 (3館合計)1,046人
設備 ドルビーデジタルサラウンドEX、DTS(宝塚1・3)
ドルビーステレオ(宝塚2)
用途 映画上映
運営 関西共栄興行株式会社
所在地 730-0034
広島市中区新天地2-10
広島宝塚会館内
アクセス 広電八丁堀電停から中央通りを徒歩5分、パルコ新館南隣
外部リンク 広島宝塚
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広島宝塚(ひろしまたからづか)は、広島市中区中央通り)にかつて存在した東宝系の映画館である。

経営・運営は東宝グループの関西共栄興行株式会社が行っていた。

沿革

  • 1951年(昭和26年)9月:前身となる「新天地劇場」がオープン。当時は松竹系の作品を中心に上映していた。
  • 1952年(昭和27年)8月:東宝に経営が譲られ「広島宝塚劇場」と改称。
  • 1971年(昭和46年)8月2日:全面改築し、「広島宝塚劇場」(3階)、「宝塚地下劇場」(後の「広島宝塚3」。地下1階)の2館体制となる。
  • 1995年:新天地レジャービル5階の宝塚4(座席数200)を加え4館体制となる。
  • 2004年5月:宝塚4をサロンシネマなどを運営する「株式会社序破急」に譲渡(→シネツイン新天地)し3館体制に戻す。
  • 2008年2月1日:運営会社が東宝関西興行から関西共栄興行に変更。
  • 2011年6月:近隣のシネマコンプレックス[脚注 1]に客足を奪われたことや、建物の老朽化などの事情により閉館を発表する[1]
  • 2011年8月31日:午後6時42分終映の『コクリコ坂から』(宝塚1)をもって完全閉館。新天地劇場時代から60年の歴史に幕を下ろす。

各館の特徴

宝塚1

定員588人。常に洋画の大作と、ヒット予想の高い邦画を上映。TOHOシネマズ日劇スクリーン1、TOHOシネマズスカラ座系の作品が多かった。

宝塚2

定員62人。規模の小ささからか、主に宝塚1・3で上映された作品のムーブオーバー(続映)や、TOHOシネマズ限定上映作品(六本木ヒルズ系のTOHOシネマズ系チェーンやお台場シネマメディアージュ系のTOHOシネマズ単館作品)が上映されていた。3館内で唯一、定員入替制を導入しており、前売券・株主券などのチケットは、当日券(時間指定券)に引き替えてから入場するシステムとなっていた。

宝塚3

定員396人(車椅子用の2席を含む)。東宝邦画系作品(TOHOシネマズ日劇スクリーン2系列のチェーン)のみを上映。1ヵ月に1作程度の割合で、新作が公開されていた。

※ただし、ヒット予想の高い作品によっては、客入りなどで上映館が変わることもあった。

サラウンドEXDTSは宝塚2を除き対応していた。

備考

末期は、アニメ作品(主にドラえもんクレヨンしんちゃんポケットモンスター)は宝塚1・2・3では上映されず、近隣のシネマコンプレックスでの上映に移行している。また、2009年9月6日広島スカラ座が、11月13日広島東映・ルーブルが閉館したため、松竹東急系の洋画と邦画作品(例:『おとうと』『ソーシャル・ネットワーク』等)も一部上映されるなど、番組編成が徐々にフリー化していった。

脚注

  1. ^ 同劇場を中心とした10km圏内にはワーナー・マイカル・シネマズ広島広島バルト11TOHOシネマズ緑井109シネマズ広島の4サイトが存在する。

出典

  1. ^ 最後の老舗 広島宝塚閉館へ”. 中国新聞 (2011年6月7日). 2011年7月15日閲覧。

関連項目

広島県内にある東宝系のシネマコンプレックス

外部リンク