「ミシルルー」の版間の差分
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『'''ミシルルー'''』(Μισιρλού, Misirlou)は、[[ギリシャ]]のポピュラー音楽の楽曲。『'''ミザルー'''』(Miserlou)とも。ミシルルーとはアラビア語で「エジプト」を意味するミスルがトルコ語経由でギリシャ語に入ったもので、「エジプト女性」の意味。本来は歌詞が存在するが、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]化したものが有名である。 |
『'''ミシルルー'''』(Μισιρλού, Misirlou)は、[[ギリシャ]]のポピュラー音楽の楽曲。『'''ミザルー'''』(Miserlou)とも。ミシルルーとはアラビア語で「エジプト」を意味するミスルがトルコ語経由でギリシャ語に入ったもので、「エジプト女性」の意味。本来は歌詞が存在するが、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]化したものが有名である。 |
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ミシルルーは[[1927年]]に[[アテネ]]で[[レベティコ]](rebetiko)というポピュラー音楽を演奏していた Michalis Patrinos の楽団が最初に演奏した。その作曲者はよくわかっていないが楽団内での共同作業とみられ、作詞もおそらく Michalis Patrinos によるとみられる。[[1920年代]]のギリシャの都市には西欧のポピュラー音楽が流入する一方で、[[トルコ]]領となった[[小アジア]]から住民交換によりギリシャに移住してきたギリシャ人が[[オスマン帝国]]の様々な音楽的伝統を持ち込んでおり、こうした音楽の交配からレベティコという新しい音楽が芽生えた。ミシルルーもレベティコの勃興と共に生まれた曲で、当時はテンポのゆったりしたダンスのための歌であった。 |
ミシルルーは[[1927年]]に[[アテネ]]で[[レベティコ]](rebetiko)というポピュラー音楽を演奏していた Michalis Patrinos の楽団が最初に演奏した。その作曲者はよくわかっていないが楽団内での共同作業とみられ、作詞もおそらく Michalis Patrinos によるとみられる。[[1920年代]]のギリシャの都市部には西欧のポピュラー音楽が流入する一方で、[[トルコ]]領となった[[小アジア]]から住民交換によりギリシャに移住してきたギリシャ人が[[オスマン帝国]]の様々な音楽的伝統を持ち込んでおり、こうした音楽の交配からレベティコという新しい音楽が芽生えた。ミシルルーもレベティコの勃興と共に生まれた曲で、当時は[[チフテテリ]](テンポのゆったりしたダンス)のための歌であった。 |
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[[1930年代]]以降、[[アメリカ合衆国]]に移民したギリシャ人とともにこの曲もアメリカに持ち込まれ、[[1940年代]]以降[[ジャズ]]や[[イージーリスニング]]の様々な楽団が独自の英語歌詞をつけて演奏するようになった。特に[[1950年代]]以降は「[[エキゾチカ (音楽)|エキゾチカ]]」と呼ばれる、異国調を前面に出した[[ラウンジミュージック]]の一種におけるスタンダードナンバーとなった。[[1962年]]には[[ディック・デイル|ディック・デイル&デルトーンズ]]の演奏による[[サーフミュージック]]アレンジのミシルルーが全米でヒットしており、このバージョンが(「ミザルー」(Miserlou)のタイトルで)今日よく知られている。ディック・デイル版は各国のサーフロック・バンドにカバーされたほか、[[1994年]]の映画『[[パルプ・フィクション]]』で主題曲となり再び広く知られるようになった。 |
[[1930年代]]以降、[[アメリカ合衆国]]に移民したギリシャ人とともにこの曲もアメリカに持ち込まれ、[[1940年代]]以降[[ジャズ]]や[[イージーリスニング]]の様々な楽団が独自の英語歌詞をつけて演奏するようになった。特に[[1950年代]]以降は「[[エキゾチカ (音楽)|エキゾチカ]]」と呼ばれる、異国調を前面に出した[[ラウンジミュージック]]の一種におけるスタンダードナンバーとなった。[[1962年]]には[[ディック・デイル|ディック・デイル&デルトーンズ]]の演奏による[[サーフミュージック]]アレンジのミシルルーが全米でヒットしており、このバージョンが(「ミザルー」(Miserlou)のタイトルで)今日よく知られている。ディック・デイル版は各国のサーフロック・バンドにカバーされたほか、[[1994年]]の映画『[[パルプ・フィクション]]』で主題曲となり再び広く知られるようになった。 |
2011年3月3日 (木) 07:20時点における版
『ミシルルー』(Μισιρλού, Misirlou)は、ギリシャのポピュラー音楽の楽曲。『ミザルー』(Miserlou)とも。ミシルルーとはアラビア語で「エジプト」を意味するミスルがトルコ語経由でギリシャ語に入ったもので、「エジプト女性」の意味。本来は歌詞が存在するが、インストゥルメンタル化したものが有名である。
ミシルルーは1927年にアテネでレベティコ(rebetiko)というポピュラー音楽を演奏していた Michalis Patrinos の楽団が最初に演奏した。その作曲者はよくわかっていないが楽団内での共同作業とみられ、作詞もおそらく Michalis Patrinos によるとみられる。1920年代のギリシャの都市部には西欧のポピュラー音楽が流入する一方で、トルコ領となった小アジアから住民交換によりギリシャに移住してきたギリシャ人がオスマン帝国の様々な音楽的伝統を持ち込んでおり、こうした音楽の交配からレベティコという新しい音楽が芽生えた。ミシルルーもレベティコの勃興と共に生まれた曲で、当時はチフテテリ(テンポのゆったりしたダンス)のための歌であった。
1930年代以降、アメリカ合衆国に移民したギリシャ人とともにこの曲もアメリカに持ち込まれ、1940年代以降ジャズやイージーリスニングの様々な楽団が独自の英語歌詞をつけて演奏するようになった。特に1950年代以降は「エキゾチカ」と呼ばれる、異国調を前面に出したラウンジミュージックの一種におけるスタンダードナンバーとなった。1962年にはディック・デイル&デルトーンズの演奏によるサーフミュージックアレンジのミシルルーが全米でヒットしており、このバージョンが(「ミザルー」(Miserlou)のタイトルで)今日よく知られている。ディック・デイル版は各国のサーフロック・バンドにカバーされたほか、1994年の映画『パルプ・フィクション』で主題曲となり再び広く知られるようになった。
歌っている歌手(歌詞があるもの)
演奏したアーティスト
- ディック・デイル&デルトーンズ
- ザ・ビーチボーイズ
- ザ・サーフコースターズ
- 寺内タケシとブルージーンズ(当初は「ビートNo.1」という邦題が付けられていた)
- 加山雄三&ハイパーランチャーズ
- ザ・ベンチャーズ
- ザ・トラッシュメン
- monobright
その他多数
BGMとしての使用例
- 映画
- 『パルプ・フィクション』
- 『TAXi』シリーズ
- ゲーム
- ゲーム『ラビッツ・パーティー』
- アーケード用音楽ゲーム『ギターフリークスV』『ドラムマニアV』に収録。
- 家庭用「ギターフリークスV&ドラムマニアV」には未収録だが、続編である「ギターフリークスV3&ドラムマニアV3」に収録されている。
- ゲーム『アスファルト3 3D』
- その他
- ブラック・アイド・ピーズの楽曲『Pump It』で使用。
- キックボクサーのピーター・アーツが入場曲として使用。
他にも数多くのテレビ番組で使用されている。