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「IWA世界ミッドヘビー級王座」の版間の差分

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[[1969年]]2月11日に創設され、[[千葉県]][[市原市]]で行われた王座決定戦で、[[田中忠治]]がマイク・マリノ<ref name="mm">{{Cite web|和書|url=http://www.showapuroresu.com/bio/ma/mike_marino.htm|title=来日全外国人レスラー名鑑 マイク・マリノ|accessdate=2022-06-19|publisher=昭和プロレス研究室}}</ref>を降し初代王座獲得。田中は防衛を重ねた後、[[1971年]]3月に、海外遠征のため王座を返上。
[[1969年]]2月11日に創設され、[[千葉県]][[市原市]]で行われた王座決定戦で、[[田中忠治]]がマイク・マリノ<ref name="mm">{{Cite web|和書|url=http://www.showapuroresu.com/bio/ma/mike_marino.htm|title=来日全外国人レスラー名鑑 マイク・マリノ|accessdate=2022-06-19|publisher=昭和プロレス研究室}}</ref>を降し初代王座獲得。田中は防衛を重ねた後、[[1971年]]3月に、海外遠征のため王座を返上。


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2024年4月5日 (金) 01:41時点における版

IWA世界ミッドヘビー王座(アイ・ダブリュー・エーせかいミッドヘビーおうざ)は、国際プロレスが管理、認定していた王座。

中量級の王座だが「ジュニアヘビー級」ではなく「ミッドヘビー級」となっているのは国際プロレスの欧州路線によるものである。

概要

1969年2月11日に創設され、千葉県市原市で行われた王座決定戦で、田中忠治がマイク・マリノ[1]を降し初代王座獲得。田中は防衛を重ねた後、1971年3月に、海外遠征のため王座を返上。

1975年1月9日、岡山県西大寺市で突如として復活王座争奪戦が、寺西勇稲妻二郎との間で行われ、寺西が王座を獲得したが1ヶ月後に返上[2]

1976年3月13日、茨城県境町にて再び両者による王座決定戦が行われ、寺西が再度獲得[2]。以後、リッキー・マーテルらを相手に防衛戦が行われたが、1977年12月20日に茨城県岩瀬町にて行われたデビル紫との防衛戦を最後に、タイトルマッチが行われることはなく[2]、国際におけるジュニアヘビー級王座はWWU世界ジュニアヘビー級王座が担うことになった。

1981年の国際プロレス崩壊とともに封印。

後年、鶴見五郎が吉原の遺族の了承を得て、国際プロレスプロモーションにて1996年7月20日の興行にて「IWA世界ミッドヘビー級王座」の名称で王座を復活させ、ウルトラマン・ロビンが王者となったが、国際プロレスプロモーションが2007年5月を最後に活動を停止し、王座は封印状態となっている。

歴代王者

歴代 選手 防衛回数 獲得日付 獲得場所(対戦相手・その他)
初代 田中忠治 2 1969年2月11日 千葉県市原市臨海体育館 / マイク・マリノ[1]
※1971年3月、海外遠征に伴い王座返上
第2代 寺西勇 2 1975年1月19日 岡山県西大寺市民会館 / 稲妻二郎
※王座決定戦で稲妻を破り獲得
※1975年1月28日の愛媛県新居浜市公民館における稲妻との防衛戦後に王座返上
第3代 寺西勇 3 1976年3月13日 茨城県町民体育館 / 稲妻二郎
※王座決定戦で稲妻を破り獲得
※1981年9月30日、国際プロレス崩壊のため封印

参考文献

  • 『忘れじの国際プロレス』ベースボール・マガジン社、2014年。ISBN 9784583620800 

脚注

  1. ^ a b 来日全外国人レスラー名鑑 マイク・マリノ”. 昭和プロレス研究室. 2022年6月19日閲覧。
  2. ^ a b c 『忘れじの国際プロレス』 P102

関連項目

外部リンク