西大寺地域

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西大寺地域
さいだいじちいき
日章旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
自治体 岡山市
行政区 東区
旧自治体 西大寺市
面積
91.08km²
世帯数
27,708世帯
総人口
64,411
登録人口、2018年7月31日現在)
人口密度
707.19人/km²
隣接地区 同区内
 上道地域瀬戸地域
区外
 同市中区、同市北区(牟佐)
 瀬戸内市赤磐市備前市
 海洋上にて隣接
 同市南区(小串)、土庄町
岡山市東区役所西大寺地域本庁
岡山市東区役所西大寺地域本庁
北緯34度39分4.0秒 東経134度1分46.0秒 / 北緯34.651111度 東経134.029444度 / 34.651111; 134.029444座標: 北緯34度39分4.0秒 東経134度1分46.0秒 / 北緯34.651111度 東経134.029444度 / 34.651111; 134.029444
所在地 〒704-8555
岡山県岡山市東区西大寺南一丁目2番4号
リンク 西大寺地域本庁公式ページ
西大寺地域の位置(岡山県内)
西大寺地域
西大寺地域
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1967年時点の市町村地図。25.西大寺市

西大寺地域(さいだいじちいき)は、岡山県岡山市東区にある広域地区である。同区役所の本庁管轄域であり、岡山市に編入合併した旧西大寺市域に相当する。いわゆる「広義の西大寺」にあたる。

地域の中心市街地は、古くから西大寺の門前町として栄え、毎年2月に同寺院で開催される日本三大奇祭の一つ「裸祭西大寺会陽)」で知られる。

なお、同市北区の中心市街地には、当地に由来する西大寺町新西大寺町という地区がある(詳細は岡山表町商店街を参照)[1][2]

概要[編集]

1969年(昭和44年)に西大寺市が岡山市に編入合併したときの市域にあたり、政令市施行前までは旧西大寺市役所が西大寺支所として管轄した。政令市移行後は同支所が東区の区役所(本庁)となり、さらに2014年(平成26年)11月25日には区役所が移転開設され[3]、当地は本庁の直轄となっている。

当地は吉井川を中心に川の東西にエリアが広がる。西大寺市以前は吉井川東岸は邑久郡、西岸は上道郡上東郡)であった。人口は西岸の方に偏っている[4]

当地の中枢は河口西岸に位置する西大寺・金岡であり、古くは金岡庄という荘園があった。この地区は中世から近世にかけて金岡湊の港町、および西大寺門前町として商工業の発展した地域であった歴史の古い地区である。また、吉井川の高瀬舟と瀬戸内海の廻船との物資の集散地としても栄え、現在の西大寺市街地の基盤となった[4]。明治以降、西大寺門前町には商店街が生まれ、それを中心に市街地が形成され周辺の経済の中心として賑わいをみせる。しかしモータリゼーションを中心とした生活に変化していくにつれ、市街地周囲の農地が区画整理され、道路網も整備、次第に商店や企業が周辺地に移転していき、商店街を中心とした市街は活気を失い、市街地としての機能は周辺地に奪われた形となる[5]。その一方で、中心地は昔ながらの門前町や港町のたたずまいを残した風情ある町並が残っており、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などの撮影地にもなった。

当地中南部には広大な平地が広がるが、大半は古来は海域であり、近世における干拓された新田地帯である。吉井川西岸は上道沖新田、東岸には幸島新田などが造成されている。かつてはのほか、ムギ綿花イグサなどが主産物であった。特に綿花とイグサは紡績やイグサ製品などの関連加工業も栄え、前述の西大寺・金岡を拠点に各地へ売られた。しかし、近代になると綿花は衰退していき、イグサも昭和期に農家の兼業化により激減した。現在の新田地帯は幹線道路が整備され、周辺は郊外型の市街と変貌し、商店・企業・宅地が立地。農地もいまだ多い地区も多数あるものの、大半が米作中心となっている。さらには沿岸部には企業団地も造成され、様相が一変した[5]

現代において、西大寺は岡山市東部の拠点地区としての地位を占め、副都心的な存在のエリアとなっている[4]

従来からの九蟠地区工業地帯のほか、2001年8月に完成した東部クリーンセンター(豊地区)の周辺に流通センターなどが進出中。カネボウ西大寺工場跡地の活用問題や中心部商店街の衰退などが、現在の懸案事項である。

岡山市を代表する企業である両備ホールディングス天満屋はこの西大寺が発祥地である。両備ホールディングスの方は現在も西大寺バスセンターが登記上の本店としての機能を果たしており、隣接して両備プラッツ西大寺店が立っていた。また天満屋の方は現在は天満屋ハピータウン西大寺店として存在している。

地勢[編集]

岡山市の南東部に位置し、東区の約南半分を占める広大なエリアである。吉井川の最下流域であり、エリア中央を北東から南西へ同河川が貫流し、当地で海(児島湾)へ至る。また、南東部は瀬戸内海に接し、南沖合にある犬島諸島も当地内である[4]

東には瀬戸内市邑久牛窓)、南は児島湾を隔てて同市南区小串・甲浦、西は百間川を隔てて同市中区富山・財田、北は同区の上道地域にそれぞれ隣接する[5]

吉井川西岸(旧上道郡域)では、中心市街地西北に備前富士の愛称で親しまれている独立丘陵の芥子山(標高232.8m)があり、この丘陵の北麓も当地内である(古都)。丘陵麓から海浜部まで広がる広大な平野部が広がるが、これは近世における干拓平野である松崎新田・金岡新田・上道沖新田から成り立っている。この平野と吉井川・旭川をそれぞれむすぶ水路として倉安川が東西に流れている。また、北東部から南西へ砂川[要曖昧さ回避]が流れ百間川へ合流しており、古くから広大な農地の灌漑用水としての役目を果たしている[5]

吉井川東岸(旧邑久郡域)は、邑久山塊西端にあたる大雄山高雄山などがある丘陵が中央にあり、その南北に平地が広がる。山の北側は一大穀倉地帯である千町平野の南部にあたり、千町川や大用水(坂根用水)が灌漑用水として流れている。山の南側は山南と呼ばれ、東側を南北に丘陵地が延び、西側を南北に流れる吉井川との間に広大な平野が広がる。この平野部は近世の干拓地であり、幸島新田などからなる。これら干拓平野の中央部を南北に千町川の派川が流れている[5]

河川
  • 吉井川
  • 砂川
  • 倉安川
  • 秋芳川
  • 庄内川
  • 百間川
  • 千町川
  • 千町川派川(神崎川・千曲川)
山岳
  • 芥子山 - 備前富士
  • 雨乞山
  • 高雄山
  • 硫黄山
  • 報恩山
  • 山の神山
  • 赤石山
島嶼
  • 犬島諸島
    • 犬島本島
    • 犬ノ島
    • 沖鼓島
    • 地竹ノ子島
    • 沖竹ノ子島
    • 白石島

東部新拠点[編集]

1993年に西大寺南のカネボウ西大寺工場が閉鎖したが、1995年に岡山市土地開発公社が取得。しかし用途が決まらず長期にわたり利用されないままであった。2010年3月に岡山市が買い取った[6]。面積は約8.2ヘクタール[7]

2009年に岡山県で開かれた全国都市緑化フェアのメイン会場となることが決定し、整備が行われた[8]

全国都市緑化フェア後、南側が西大寺緑花公園、体験学習施設百花プラザとなり、2010年4月にリニューアルオープンした[9][10][11][12]。 北部エリアは民間活用、北東エリアは公共公益施設予定地とされた[7]

2010年4月、緑化公園内に図書館(西大寺緑花公園緑の図書室)がオープンした[13](向洲の西大寺図書館は閉鎖)。

2011年2月14日、岡山市は北東エリアに岡山市東区役所、東消防署などを移転させる方針を明らかにし[14]、2014年11月25日に移転開設した[3]

2011年10月、三菱地所は、当地を賃借し同年11月9日に商業施設「西大寺グリーンテラス」を開業するとし、家電量販店(ケーズデンキ)・ホームセンター(コーナン商事)・スポーツ用品店(モミジヤ)など計7店舗が12月までに順次オープンさせた。約25800平方メートルを賃借し、2階建ての施設を建設、店舗面積は約13000平方メートル、駐車場は約590台分。三菱地所は、同年3月に市と借地契約を締結、2033年までの契約で、借地料は約15億円で、それ以外の事業費は約20億円。年間35億円の売上高を見込んでいる[6]

地域[編集]

当地は以下の、地域区分に細分化される。以下は、コミュニティ協議会区域・コミュニティハウス設置区域・連合町内会区域であり、ほぼ学区(小学校)と一致する。

  • 西大寺 - いわゆる「狭義の西大寺」
  • 西大寺南(金岡)
  • 雄神
  • 芥子山
  • 可知
  • 古都
  • 政田
    • 光政
    • 津田
  • 開成
    • 金田(金岡新田)
    • 九蟠
  • 太伯
  • 大宮
  • 幸島
  • 朝日
    • 犬島

経済・産業[編集]

主要特産物
  • 果物:あたご梨、ヤーリー、いちご、ぶどう
  • 水産・畜産物:黄しじみ、白魚、ひらめ、のり、牛乳
  • その他:会陽みそ、笹の葉せんべい、西大寺ワイン、張り子の虎

文化[編集]

西大寺地区には西大寺観音院を筆頭に文化財が多い。

東部の硫黄山の一角の築山には6~7世紀の横穴式古墳群がある。山の南側にあたる大宮地区には備前国一宮であった安仁神社が鎮座。境内付近からは銅鐸も出土している。硫黄山の尾根続きである堂山には報恩大師開基と伝えられる千手山弘法寺がある。邑久郷地区の納岡には宇喜多家の菩提寺と伝えられる紅岸寺(向岸寺)があり、乙子地区には、戦国時代に児島湾に面して築かれた宇喜多直家所縁の乙子城(音湖城)址がある。西部の芥子山の西山中には岡山藩主・池田綱政による創建とされる大多羅寄宮跡がある[5]

民俗行事としては、全国的に知られる西大寺観音院の会陽・裸祭が代表的であり、当地の代名詞的なイベントとして古い時代から現在まで続けられている。毎年会陽の時期には、見物客が全国から数万人が訪れ、西大寺の街が一年でもっとも賑わう[5]

観光・行事[編集]

西大寺(観音院)

観光地・名所・旧跡[編集]

行事[編集]

  • さいだいじ冬フェスティバル(2月~3月初旬)
  • 西大寺会陽(えよう)、会陽冬花火(2月第3土曜日)
  • わっしょいカーニバル西大寺(4月下旬)
  • 夏まつり西大寺
  • 西大寺朝市(毎月第3日曜日、ただし2月と8月は第2日曜日)

主要施設[編集]

教育[編集]

専門学校・高等学校
小・中学校

官公庁[編集]

金融[編集]

  • 中国銀行:西大寺支店、西大寺支店神崎出張所、松崎支店
  • トマト銀行:西大寺支店
  • おかやま信用金庫:西大寺支店、松新町支店
    • (補足)以前あった西大寺信用金庫は、岡山市民信用金庫に統合。その後岡山市民信用金庫は、おかやま信用金庫に統合。

小売店[編集]

卸売等[編集]

飲食店[編集]

風営店[編集]

  • マルハチ西大寺店

生活[編集]

電話・郵便[編集]

  • 電話:(086)94xから始まる。例外として、古都小学校区全域と中川町の一部は(086)2xx,80x,89x,90xから始まる。
    • 以前は岡山市でありながら、岡山市の他地域とは別の市外局番だったが、1992年(平成4年)10月10日、西大寺地域を(086)297、940~949に変更し、岡山MAに編入させ、瀬戸内市域は邑久MA((0869)2x、34)に名称変更してこの問題は解消された。
      • 変更前の市外・市内局番は、西大寺地域が08694-2~9、上道地域(一部例外あり)が086928(後に0862-97へ変更)、牛窓町(現・瀬戸内市)が086934、邑久町(同)が08692-2~5,7,9、長船町(同)が086926、その他の岡山市が0862-20~96,98,99。
      • 変更前は旧牛窓町、旧邑久町、旧長船町(いずれも現在は瀬戸内市)とは同じ西大寺MAであったため市内通話扱いであった。
  • 郵便:西大寺局に属し、郵便番号は704-81xx(事業所の個別番号は704-85xx,704-86xx,704-87xx)。例外として、古都小学校区は703-82xx(事業所の個別番号は703-85xx,703-86xx,703-87xx)(岡山東局)。

放送[編集]

地上波テレビ放送は岡山市と同様だが、ケーブルテレビである岡山ネットワーク(愛称oniビジョン)は視聴できない。(百間川以西の中川町のみ視聴可能)

テレビ局
AMラジオ局
FMラジオ局

交通[編集]

鉄道[編集]

※かつては岡山市内まで西大寺鉄道が通じていたが、赤穂線に置き換わる形で1962年に廃止になった

路線バス[編集]

道路[編集]

出身・ゆかりの著名人[編集]

ゆかりの著名人

西大寺で撮影された作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 岡山城の城下町が整備された後、西大寺門前町から移住した人々が住んでいた事に由来する古い地名である。
  2. ^ 谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版
  3. ^ a b 東区役所等が移転開設しました(岡山市)
  4. ^ a b c d 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』平凡社(1988年)
  5. ^ a b c d e f g 岡山市地名研究会著『岡山市の地名』岡山市(1989年)
  6. ^ a b 中国新聞 2011年10月12日
  7. ^ a b 西大寺「元気な新拠点」整備事業実施方針|岡山市
  8. ^ 岡山県の取組みと第26回全国都市緑化おかやまフェアについて(PDF)
  9. ^ 公募により西大寺緑化公園、体験学習施設百花プラザと名付けられた。
  10. ^ 緑化フェア開催中、「自然の恵みガーデン」(南東エリア)・「キッズガーデン」と名付けられたゾーンが公園、「花と緑のテーマ館」が百花プラザ、「花暮らしのまち」と名付けられたゾーンの一部が駐車場となった。
  11. ^ 西大寺緑化公園|岡山市
  12. ^ 体験学習施設百花プラザ|岡山市
  13. ^ 西大寺緑花公園緑の図書室のご案内|岡山市
  14. ^ 山陽新聞 2011年3月11日

参考文献[編集]

  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  • 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)
  • 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
  • 渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』朝倉書店(1968年)
  • 岡山市地名研究会著『岡山市の地名』岡山市(1989年)
  • 岡山県歴史人物事典編纂委員会『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社(1994年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]