「伊号第二十潜水艦」の版間の差分
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2011年4月4日 (月) 17:03時点における版
伊号第二〇潜水艦(イごう20せんすいかん)は、大日本帝国海軍伊一六型潜水艦の三番艦。
第三次海軍補充計画((3)計画、昭和12年(1937年))で建造が計画され、1937年11月16日に佐世保の海軍工廠で起工、1941年9月26日に竣工した。太平洋戦争勃発時には第6艦隊特別攻撃隊に所属し真珠湾攻撃に参加、ハワイ島沖まで甲標的(艇長広尾彰少尉、片山義雄二等兵曹。真珠湾攻撃において撃沈したと見られる。)を輸送した。
翌年になり、南太平洋に戦場を移す。サモア島を砲撃した後、インド洋へ向かい、マダガスカル島ディエゴスワレス湾沖まで甲標的(艇長秋枝三郎大尉、乗組員松本正巳一等兵曹。湾内の艦艇を奇襲後、艇の座礁によりマダガスカル島に上陸。イギリス兵と交戦した後戦死したと見られる。)の輸送任務に就いた。特殊潜航艇は5月31日に発進。帰還を数日待ったが、生還は適わなかった。引き続きインド洋で通商破壊の任務に就き、8隻の商船を撃沈した。以降は戦局の悪化に伴い輸送任務を行うようになる。
1943年8月30日、ニューヘブライズ島への輸送任務の途上で消息不明となり、同年12月1日に戦没認定され除籍された。実際には10月1日にアメリカ海軍駆逐艦「イートン ( Eaton ) 」の攻撃を受けての戦没であった。