ビゼンニシキ

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ビゼンニシキ
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1981年4月26日
死没 1999年7月23日(19歳没・旧表記)
ダンディルート
ベニバナビゼン
生国 日本青森県横浜町
生産者 明成牧場
馬主 藤田正蔵
調教師 成宮明光美浦
競走成績
生涯成績 10戦6勝
獲得賞金 1億4501万7400円
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ビゼンニシキ日本競走馬1984年中央競馬のクラシック戦線シンボリルドルフとともにリードした。

馬齢は旧表記で統一する。

戦績

1983年11月5日東京競馬場にて行われた新馬戦で3番人気にとどまるも初勝利。その後、特別戦を2連勝し3戦全勝で3歳を終えた。

4歳は共同通信杯4歳ステークスから始動し初重賞制覇。無敗のまま弥生賞[1]シンボリルドルフと初対戦となった。両馬の主戦騎手であった岡部幸雄は、調教師成宮明光の強い慰留がありながらもシンボリルドルフを選んだ。なお、この選択にオーナーの藤田正蔵は激怒し、その後岡部に騎乗依頼をすることはなかった。ビセンニシキは単勝1番人気に支持されるも、スタートで出遅れ、やはりスタートで出遅れ後方からの競馬となったシンボリルドルフの2着と敗れた。ビゼンニシキの走破タイム2分02秒0は既に同条件の皐月賞のレースレコードを上回っていた。このレースはシンボリルドルフが、出走した4歳馬同士のレースで唯一の2番人気となったレースでもある[2]

この後、スプリングステークスに出走し、単勝1.5倍という断然の1番人気の中逃げ切り勝ちを収めた。皐月賞ではシンボリルドルフとともに単枠指定を受け、2強の断然ムードゆえこの2頭にオッズが集中し、皐月賞の総売上げが100億円を切るほどであった。レースは、直線入り口でシンボリルドルフから激しくぶつけられると言う不利を受け、直線で伸び足が止まり2着に敗れた。皐月賞レコードで決着したレースだったが、ビゼンニシキの走破タイムも2分01秒3と皐月賞レコード。「相手がルドルフで無ければ」、「直線の不利が無ければ」と言わしめた。なお、シンボリルドルフに騎乗した岡部は、失格処分[3]にはならなかったものの騎乗停止処分を受けた[4]

続くNHK杯にも出走し、断然人気の中勝利し、重賞3勝目をあげる。ただ、レース数を絞って仕上げるシンボリルドルフと対照的に、クラシック路線の全レースに出走していたことから疑問が呈されていた。

日本ダービーでは、再びシンボリルドルフとともに単枠指定され、2番人気に支持されるも、短距離血統や大型馬であることから「ダービーでは距離が持たない」と事前報道されていた予想家の言葉をなぞらえるように、逃げるスズマッハに一度も並びかけることなく直線で失速し14着と大敗した。

秋は整備され始めた短距離路線に狙いを定めてスワンステークスから始動したが、直線で故障し最下位入線(ロングヒエンが競走中止となったため着順はブービー)。競走能力喪失と判断され、そのまま種牡馬入りした。

本来はマイル戦がベストの馬ともいわれ、現在のように4歳馬春の短距離路線が整備され、かつシンボリルドルフに張り合おうとしなければ、1歳年上のニホンピロウイナーに勝るとも劣らない活躍をしたのではないかという声もある。  

競走成績

年月日 競馬場 競走名 距離 (馬場)

人気 着順 タイム 着差 騎手 斤量 勝ち馬 / (2着馬)
1983 11. 5 東京 3歳新馬 芝1400m(稍) 8 6 3人 1着 1.26.4 6馬身 岡部幸雄 54 (フラワーパーク)
11. 27 東京 さざんか賞 芝1400m(良) 11 5 2人 1着 1.24.3 3馬身 岡部幸雄 54 ニッポースワロー
12. 24 中山 ひいらぎ賞 芝1800m(良) 9 1 1人 1着 1.51.8 2馬身 岡部幸雄 54 (ハクバテンリュウ)
1984 2. 12 東京 共同通信杯4歳S GIII 芝1800m(良) 8 3 1人 1着 1.38.7 1馬身 岡部幸雄 55 (リキサンパワー)
3. 4 中山 弥生賞 GIII 芝2000m(良) 14 10 1人 2着 2.02.0 -0.3秒 蛯沢誠治 55 シンボリルドルフ
3. 25 中山 スプリングS GII 芝1800m(良) 12 2 1人 1着 1.50.6 3/4馬身 蛯沢誠治 56 サクラトウコウ
4. 15 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 19 3 2人 2着 2.01.3 -0.2秒 蛯沢誠治 57 シンボリルドルフ
5. 6 東京 NHK杯 GII 芝2000m(良) 9 1 1人 1着 2.04.0 ,2.1/2馬身 蛯沢誠治 56 (トウホーカムリ)
5. 27 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 21 14 2人 14着 2.32.0 -2.7秒 蛯沢誠治 57 シンボリルドルフ
10. 28 京都 スワンS GII 芝1400m(良) 13 3 3人 12着 1.27.8 -6.4秒 蛯沢誠治 56 ニホンピロウイナー

引退後

1985年より北海道浦河郡浦河町のイーストスタッドにて種牡馬として供用開始。当初は種付けに時間がかかって牝馬が暴れたりするので、生産者がいい繁殖牝馬を持って来なかった時期があった。しかし2年目の産駒より、マイルチャンピオンシップを2勝したダイタクヘリオスらを輩出すると、例年コンスタントに50頭以上の繁殖牝馬を集め、父内国産の中堅種牡馬として実績を残した。晩年は九州の種牡馬場に移り、1999年の種付けシーズン終了後、7月23日に死亡している。

主な産駒

血統表

ビゼンニシキ血統Luthier系 / Djebel 5×5=6.25%、Relic 5×4=9.38%(父内)、War Kilt、War Relic 5×5 = 6.25% (血統表の出典)

*ダンディルート
Dandy Lute
1972 鹿毛
父の父
Luthier
1965 黒鹿毛
Klairon Clarion
Kalmia
Flute Enchantee Cranach
Montagnana
父の母
Dentrelic
1965 栗毛
Prudent My Babu
Providence
Relict Relic
Fakhry

ベニバナビゼン
1975 栗毛
*ミンスキー
Minsky
1968 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
母の母
カツハゴロモ
1971 鹿毛
*サウンドトラック
Sound Track
Whistler
Bridle Way
*ワイルドライフ
Wild Life
Big Game
Clarinda F-No.3-o


脚注

  1. ^ 当時GIII
  2. ^ のちに古馬との初対決となったジャパンカップでは菊花賞から中1週の強行日程が嫌われて4番人気で、シンボリルドルフが日本国内のレースで1番人気に支持されなかったのはこの2回だけである。
  3. ^ 当時は降着制度がなかった。日本で降着制度が始まったのは1991年
  4. ^ 前年の三冠馬・ミスターシービーも日本ダービーで他馬と衝突し、鞍上・吉永正人が騎乗停止処分を受けている。

外部リンク