渡邊五郎

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渡邊五郎(わたなべ ごろう、1934年5月14日 - )は、日本の実業家三井物産代表取締役副社長三井化学代表取締役会長を歴任。

人物・経歴[編集]

高知市立潮江小学校時代は、体も大きく、ガキ大将だった。小学校5年生だった1945年に、自宅が空襲で焼失し、四万十町魚ノ川に疎開し、山小屋を建て、四万十町仁井田中学校に通った戦後も含め、そこで5年間過ごした。実家は貧困状態で、家に電気は引かれておらず、夜はたいまつとランプで過ごした。また、父の木材仲買業の収入が不安定だったため、自らも、子供ながらに、高知の町まで米などを売りに出て家計を支えた[1]

中学3年3学期から、進学高校への進学を志して高知市に戻り、調理人をしていた兄の家の屋根裏部屋に住み、高知市立昭和中学校(現高知市立愛宕中学校)に通った。中学の模擬試験では学内1位の成績であったため、不良グループに目を付けられて呼び出されたが、グループのリーダー格が、小学校のとき渡邉に果物などを恐喝されていた人物であると判明し、「よろしゅう頼むぜよ」などと対応したところ、不良グループから挨拶されるような関係となった。[2]

高知県立高知小津高等学校在学中に、外交官を志すようになり、一橋大学を受験するも、2年連続で不合格となり断念した。東京外国語大学慶應義塾大学早稲田大学には合格し、結局早稲田大学第一政治経済学部経済学科に進学し、上京。東京土佐寮に入寮し、吉祥寺で飲酒して土木作業員ケンカをするなど、バンカラな生活を送り、寮長も務めた一方[3]、断念した外交官と似て、世界を舞台に活動する総合商社社員になることを志して入部したWESS(早稲田大学英語会)では、1年生にして全国英語弁論大会早稲田大学予選会で優勝した。また、大学では小松雅雄教授のゼミに参加した。[4]

日本人として初めて,米国デュポン社の取締役に就任した。

略歴[編集]

  • 1958年:早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業
  • 1958年:第一物産(現三井物産)入社、電信課
  • 1960年:アルゼンチン留学、コルドバ国立大学
  • 1961年:ブエノスアイレス支店化学品課
  • 1963年:帰国、有機化学品第一部輸出課
  • 1966年:米国三井物産ニューヨーク本店
  • 1972年:帰国、精密化学品部課長
  • 1975年:ハーバード大学経営大学院研修(三ヶ月)
  • 1980年:米国三井物産ニューヨーク本店副社長
  • 1985年:帰国、精密化学品第二部長
  • 1987年:業務部副部長
  • 1990年:同社取締役化学品統括部長
  • 1991年:同社取締役業務部長
  • 1992年:常務取締役、米州監督兼米国三井物産㈱社長
  • 1993年:同社代表取締役専務取締役
  • 1995年:帰国、同社代表取締役副社長兼米国デュポン社取締役
  • 1998年:三井化学代表取締役副社長
  • 2001年:三井化学代表取締役会長
  • 2003年:森ビル特別顧問

著書[編集]

脚注[編集]