沖帝
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| 沖帝 劉炳 | |
|---|---|
| 後漢 | |
| 第9代皇帝 | |
| 国名 | 後漢 |
| 在位期間 |
建康元年8月6日 - 永憙元年1月6日 (144年9月20日 - 145年2月15日) |
| 都城 | 雒陽(洛陽) |
| 姓・諱 | 劉炳 |
| 諡号 | 孝沖皇帝 |
| 生年 |
漢安2年 (143年) |
| 没年 |
永憙元年1月6日 (145年2月15日) |
| 父 | 順帝 |
| 母 | 虞貴人 |
| 陵墓 | 懐陵 |
| 年号 |
建康(144年) 永憙(145年) |
沖帝(ちゅうてい)は、後漢の第9代皇帝。諱は炳(へい)。即位時点で幼少のため政務は全て外戚の梁氏が取り仕切ったが、在位期間が5カ月にも満たないうちに、わずか2歳で崩御した。一般的には諡号の「孝沖皇帝」を省略した、「沖帝」という名称で呼ばれている。
生涯
[編集]143年に順帝の唯一の子として生まれ、144年(建康元年)に立太子される。同年9月に順帝が死去すると、わずか1歳で即位した。幼少のため、外戚の梁氏により朝政は掌握された。治世においては朝政腐敗と民衆の負担増による不満によって徐鳳や馬勉などによる反乱が九江で発生している。145年2月、2歳の沖帝は崩御したが、外戚の梁冀による毒死も噂された。