池田水藻
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池田 水藻 | |
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生誕 |
1886年10月1日 日本 鹿児島県川辺郡平山村(南九州市) |
死没 |
1967年12月27日(81歳没) 日本 神奈川県横須賀市 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1937年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
池田 水藻(いけだ みずも[1]、1886年(明治19年)10月1日[2] - 1967年(昭和46年)12月27日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]鹿児島県川辺郡平山村(川辺村平山、川辺町平山を経て、現在の南九州市川辺町平山)出身[3]。陸軍士官学校第19期、陸軍大学校第30期卒業[2]。1923年(大正12年)8月、陸軍歩兵少佐に進級し[4]、同年9月時点で歩兵第30連隊大隊長の任にあった[4]。1925年(大正14年)12月に第14師団参謀に転じ[5]、1928年(昭和3年)3月8日に歩兵第63連隊附となり[6]、松江高等学校に配属された[6]。同年3月24日には陸軍歩兵中佐に進級し[6]、1931年(昭和6年)3月には学校配属を解かれ、歩兵第63連隊附となり[7]、1932年(昭和7年)5月に高崎連隊区司令官に着任し[1]、6月には陸軍歩兵大佐に進級した[1]。
1935年(昭和10年)3月に第6師団司令部附となり[2]、熊本医科大学に配属された[2]。1937年(昭和12年)3月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり[1][2]、3月29日に予備役に編入された[2]。晩年は神奈川県横須賀市に居住し、心臓疾患の療養中だったが、1967年(昭和46年)12月27日に心筋梗塞で死去した[8]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[9]
脚注
[編集]- ^ a b c d 外山 1981, 247頁.
- ^ a b c d e f g 福川 2001, 55頁.
- ^ 川辺町郷土誌編集委員会 編『川辺町郷土誌 昭和28年版』川辺町役場、1953年9月25日、121頁。
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調230頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調182頁
- ^ a b c 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調153頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調101頁
- ^ 『偕行』第200号、陸修偕行社、1968年2月1日、24頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。