殿城口駅

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殿城口駅*
とのしろぐち
TONOSHIROGUCHI
伊勢山 (0.6 km)
(0.3 km) 下原下
所在地 長野県小県郡真田町大字下原小字川久保
所属事業者 上田交通
所属路線 真田傍陽線
キロ程 7.6 km(電鉄上田起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1928年1月10日
廃止年月日 1972年2月19日
備考 路線廃止に伴う廃止
* 1953年までの駅名は川久保駅
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殿城口駅(とのしろぐちえき)は、かつて長野県小県郡真田町(現・上田市)に存在した上田交通真田傍陽線の駅。真田傍陽線の廃線と同時に廃駅となった。

概要[編集]

真田傍陽線の前身である上田温泉電気軌道北東線の第一期線の上田駅本原駅間は、きっかけとなった鉄道敷設運動の経緯から、当初路線は殿城村を回るルートで計画され、神川鉄橋も現在の国道144号線川久保橋より下流の殿城村付近に建設される予定であったが、建設負担金が集まらないとの理由から殿城村が脱落したため、現在の川久保橋付近に鉄橋が建設され、同時に伊勢山トンネルも建設されるルートに変更された。ルート変更によって設けられた駅が殿城口駅である。駅は神川鉄橋を渡ってすぐの場所に建設された。

駅は設置時川久保橋の近くにあり、設置された場所の住所が小県郡本原村大字下原小字川久保(現在は上田市真田町下原)であったため川久保駅(かわくぼえき)と称していたが、殿城村の住民が歩いて利用していたという事情からか、1953年に殿城口駅に変更している。

駅はカーブの途中にあり(真田・傍陽方面に向かって左にカーブ)[1]、単式ホーム1面でホームは線路の東側(真田・傍陽方面に向かって右側)に位置した[1]。駅舎を持ち駅員が配置され、駅員が切符を販売する駅であった[1]

廃止後は上田交通上電バスのバス停留所となったが、停留所は川久保橋の近くにある。

神川第一鉄橋[編集]

真田傍陽線(建設当時は上田温泉電気軌道北東線)の難工事として伊勢山トンネルと共に挙げられるのが神川第一鉄橋、通称川久保鉄橋の建設である。神川第一鉄橋は当初殿城村を回るルートを採用していた事から実際に建設された場所よりも下流に建設される事になっていた。しかし、殿城村が資金不足を理由に鉄道敷設運動から脱落したことから、神川第一鉄橋は当初の予定よりも上流の伊勢山付近に建設されることとなった。伊勢山トンネルの掘られた付近はV字型の谷に位置していたためすべてをプレートガーター方式で建設することが出来ず、中央部は4連ケーソンガーターで、伊勢山トンネル出口付近と殿城口駅の付近にプレートガーターを2連建設するというスタイルで完成。結果として、特徴のあるスタイルの鉄橋となった。また、真田傍陽線は全区間逆U時型の架線柱で電線を支える方式を採用しており、神川第一鉄橋も同様であったが、架線柱が橋脚から伸びているため、1958年にコンクリートの架線柱に換えられるまで木柱を2本足として次足してあった。

神川『第一』鉄橋と称されるのは、本原駅 - 横尾駅間に神川第二鉄橋が存在したからである。両鉄橋とも廃止後に取り壊され、現存しない。

隣の駅[編集]

上田交通
真田傍陽線
伊勢山駅 - 殿城口駅 - 下原下駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c 鉄道写真集 上田丸子電鉄の記憶 丸子線・真田傍陽線・別所線(信濃毎日新聞社出版部 編 2022年6月)130 - 131頁