横浜市立日吉台小学校

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横浜市立日吉台小学校
地図北緯35度33分10秒 東経139度38分37秒 / 北緯35.552778度 東経139.643556度 / 35.552778; 139.643556座標: 北緯35度33分10秒 東経139度38分37秒 / 北緯35.552778度 東経139.643556度 / 35.552778; 139.643556
過去の名称 清林学舎/駒林学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岩村眞道
校訓 正しく・強くやさしきに
設立年月日 1863年
共学・別学 男女共学
学校コード B114210021991 ウィキデータを編集
所在地 223-0062
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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横浜市立日吉台小学校(よこはましりつ ひよしだいしょうがっこう)は、神奈川県横浜市港北区にある市立小学校。略称は「台小(だいしょう)」。

概要[編集]

日吉駅の西側に位置する横浜市立小学校である。令和5年に創立150周年を迎えており[1]、港北区内でも長い歴史を有する小学校である。

学区はすべて横浜市立日吉台中学校の学区に属する。

本校より横浜市立下田小学校横浜市立矢上小学校横浜市立箕輪小学校が分離独立している[2]

歴史[編集]

校名の由来[編集]

本校が所在する地域はかつて「駒林村」と呼ばれており、本校の校名にもなったが、現在は地名としては残っていない。「駒林神社」や後に名を残す目的で名付けられた「横浜市立駒林小学校」としては残っている。現在の校名である「日吉台」は、日吉地区東急分譲地が「日吉台」と名付けられたことに由来する。

沿革[編集]

抜粋して掲載[2]

  • 1863年(文久3年)- 駒林村清林金蔵寺の寺子屋「清林学舎」設立。
  • 1873年(明治6年)- 学制による正規の小学校に移行。
  • 1875年(明治8年)- 県令により、村名をとって「駒林学校」と改称。
  • 1923年(大正12年)- 校名を「駒林尋常小学校」と改称。
  • 1932年(昭和7年)- 昭和4年に日吉地区東急分譲地が「日吉台」と名付けられ、校名を「日吉台尋常小学校」と改称。
  • 1940年(昭和15年)- 当時日本一と言われた木造2階建ての校舎(17教室)完成。
  • 1947年(昭和22年)- 木造校舎8教室完成。「横浜市立日吉台小学校」と改称。
  • 1959年(昭和34年)- 下田分校開設。
  • 1962年(昭和36年)- 横浜市立下田小学校が独立開校。
  • 1966年(昭和40年)- 鉄筋3階建校舎(現管理棟)完成。
  • 1969年(昭和43年)- 体育館棟完成。
  • 1973年(昭和47年)- 横浜市立矢上小学校が独立開校。下田小学校より横浜市立日吉南小学校が独立。
  • 1976年(昭和51年)- プール棟完成。
  • 2020年(令和2年)- 横浜市立箕輪小学校開校。

戦時中の出来事[編集]

  • 1944年7月のサイパン陥落後、学童疎開が実施された。空いた校舎には海軍省人事局功績調査部が移転している。
  • 最初に建てられた校舎は戦災により焼失していて、現在の校舎は戦後に改修工事されたものである。

学校教育目標[編集]

出典[3]

「みずから生きる ともに生きる 日吉台の子」

一人ひとりの子どもにしっかり教え、しっかり引き出す指導を通して、「知」「徳」「体」「公」「開」で示す"横浜の子ども"の育成を目指すとしている。

校歌・校章[編集]

校歌[編集]

  • 現在では校歌は2番までしか歌われていないが、制定当初は3番も存在した。1番と2番は現在同様の歌詞で「遊び」と「学び」が歌われているが、3番に「戦争」が歌われていたため、戦後の平和主義に基づき現在の2番までの校歌となった。

校章[4][編集]

  • 今は歌われていない校歌の第三節にあった「正しく・強くやさしきに」をモチーフに、「剣と鷹の翼」と「桜の花」を図案化して作られたものである。
  • 戦後、剣は取ったほうが良いということでなくなっているが、鷹の翼は「強く」を,桜の花は「やさしく」を表している。
  • 日吉台小学校から分離独立した横浜市立下田小学校は、京都御所左近桜右近橘にあやかって「」をモチーフにした校章となっている(橘の校章は、この周辺がかつて橘樹郡に属していたことにも由来している)[5]

文化の鐘の逸話[編集]

  • 文化の鐘とは、本校に置かれた始業と終業を告げる鐘で、近隣住民のシンボルでもあった。戦時中の1941年(昭和16年)に発令された金属回収令を受け、文化の鐘も回収対象となったが、同時の学内関係者が協同して存在を隠蔽したという逸話が残る。このことは今も尚、当時の卒業生らによって在校生に語り継がれている。現在では文化の鐘は使われておらず、保管されている。

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日吉台小学校. “150周年記念事業”. 日吉台小学校. 2023年9月30日閲覧。
  2. ^ a b 日吉台小学校. “沿革”. 日吉台小学校. 2023年9月30日閲覧。
  3. ^ 日吉台小学校. “学校教育目標”. 日吉台小学校. 2023年9月30日閲覧。
  4. ^ 日吉台小学校. “校歌・校章”. 日吉台小学校. 2023年9月30日閲覧。
  5. ^ (日本語) 横浜市立下田小学校 創立50周年記念「大好き下田小、下田町」, https://www.youtube.com/watch?v=Za7ZLZPKYcc 2023年9月30日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]