桃園川

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桃園川(ももぞのがわ)は、東京都杉並区および中野区を流れる河川。全区間暗渠化されている。中野区内では「中野川」とも呼ばれる。

地理[編集]

桃園川緑道 杉並区

東京都杉並区、現在は荻窪駅の北にあたる天沼弁天池公園)付近より東へ 1.5km ほど流れ、阿佐ヶ谷駅の北、中杉通りを越えたあたりから周囲より谷を深くして南下。杉並区立けやき公園のところで中央線を南東にくぐってからは桃園川緑道となり、そこから東南東へ転じ、環状七号線を越えたところからはほぼ大久保通りと併走する形で中野区を東へ横断する。東中野駅南側にある末広橋付近で中野区新宿区の境界を流れる神田川合流する。

現在の暗渠は桃園川幹線という下水道となっている。神田川への開口部は桃園川汚水幹線からの分水であり、本来の川の水とは言い難い。

歴史[編集]

桃園川の水源は、天沼弁天池公園にかつてあった、天沼弁天社内の湧水で生じた弁天池(弁天沼・天沼・瓢箪池。約300)である。弁財天祠が祀ってあるで、「天沼」の地名の由来といわれている。一帯は天沼八幡神社の社地であり、池のほとりに「天沼池畔亭」という料亭があった。

地形から見える桃園川が刻む上流の河谷はそれほど深くなく、昔から湧水量は少なかったと考えられる。江戸時代の1707年(宝永4年)に通された千川上水からの六ケ村分水が、現在の青梅街道の四面道交差点の東(北緯35度42分21秒 東経139度37分09秒 / 北緯35.705884度 東経139.619193度 / 35.705884; 139.619193 (桃園川通水))付近(現在、遊歩道入口がある)から桃園川に通水されていた。

湧水は1955年昭和30年)頃までは確認されている。神田川周辺は戦後宅地化が急速に進んだため大雨などでたびたび洪水となり、1961年(昭和36年)に東京の都市部の河川について下水道化が答申された。桃園川も昭和40年代までにすべて暗渠化された[1]

1975年(昭和50年)に天沼八幡神社が改築される際、弁財天を八幡神社境内に移設した上で、社地は西武鉄道に売却された。湧水は埋め立てられ、「ゴルフ研修所」と称して当時西武鉄道会長であった堤義明と関係女性宅が建った。その後会社の株式上場廃止に伴って2004年に杉並区に売却され、2007年(平成19年)に区立の天沼弁天池公園として整備された。この公園内にある池はこのときの公園造成で造られた人造池であり、本来の池とは異なり湧水はない。

脚注[編集]

  1. ^ 東京山の手の密集市街地における旧河川道周辺地区の可能性に関する研究 東京大学工学部都市工学科都市デザイン研究室

関連項目[編集]