林檉宇
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政5年5月27日(1793年7月5日) |
死没 | 弘化3年12月6日(1847年1月22日) |
別名 | 皝(ひかる、諱)、用韜(字)、培斎(号)、大学頭 |
墓所 | 東京都新宿区市谷山伏町の林氏墓地 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 林家 |
父母 | 父:林述斎 |
兄弟 | 檉宇、鳥居耀蔵、復斎 |
子 | 壮軒 |
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寛政5年(1793年)、江戸幕府に仕えた儒官の家として代々大学頭を称した林家の当主林述斎の三男として江戸に生まれた。
佐藤一斎や松崎慊堂に学び、天保9年(1838年)には父祖同様、幕府儒官として大学頭を称して侍講に進んだ[1]。著作に『澡泉録』などがあり、能書家としても知られる。
林大学頭家第9代当主(1841年 - 1847年) | |
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大学頭家 | |
第二林家 |
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