松岡恕庵

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松岡 恕庵(まつおか じょあん、寛文8年(1668年) - 延享3年7月11日1746年8月27日))は、日本の儒家、本草学者。名は玄達(げんたつ)、通称は恕庵、は成章、は怡顔斎 (いがんさい) 、苟完居(こうかんきょ)、埴鈴翁、真鈴潮翁。門弟に小野蘭山戸田旭山服部艸玄浅井図南谷川士清横地島狄子直海元周

生涯[編集]

恕庵は寛文8年(1668年)京都に生まれた。18歳の時、浅井周伯私塾養志堂に入り東洋医学を学びながら、儒学を山崎闇斎伊藤仁斎に学んだ。しかし中国の詩編「詩経」に出てくる動植物の名の理解に苦しみ本草学稲生若水の門に入り本草学を学んだ。この時から本草学に傾倒していき、のちに自身も本草学を講じるようになった。

享保元年(1716年徳川吉宗が8代目将軍就任。享保の改革の中で薬事に関する改革を始める。この時はまだ、江戸幕府開幕後も日本の文化中心地は京都であり本草学の中心地もまた京都であった。そのため享保6年(1721年)江戸の本草学発展の為の人材として恕庵ら京都の本草学者が幕府からの招聘を受け京都から幕府の江戸医学館に招かれた。恕庵は集められた本草の薬事検査をする和薬改会所に加わり検査法を検討、飢饉のための対策、殖産産業に寄与し日本の本草学を発展させた。延享3年(1746年)死去。享年79。

功績[編集]

師の稲生若水は中国の本草学を日本の本草学に変えていく草分けとして以後の本草学を発展させる人材を輩出したが、恕庵の本草学はそれまでの薬学に重きを置くものに収まらず、積極的に多種多様の動植物、鉱物を収集し博物学的なものに発展していた。それは、門弟小野蘭山が築く日本国本草学、丹羽正伯の検査基準「和薬種六ヶ條」に結実していくことになった。

主な著書[編集]

交流[編集]