東葉高等学校
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(東葉門から転送)
東葉高等学校 | |
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校舎棟と体育館 | |
北緯35度43分20秒 東経140度1分6秒 / 北緯35.72222度 東経140.01833度座標: 北緯35度43分20秒 東経140度1分6秒 / 北緯35.72222度 東経140.01833度 | |
過去の名称 |
船橋実科高等女学校 船橋高等女学校 船橋学園女子中・高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人船橋学園 |
校訓 |
人間尊重の精神 個性尊重の教育 「第三教育」の実現 |
設立年月日 | 1925年(大正12年) |
創立者 | 古賀米吉 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制・通信制 |
単位制・学年制 |
学年制(全日制) 単位制(通信制) |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D112310000171 |
高校コード | 12507F |
所在地 | 〒274-0056 |
千葉県船橋市飯山満町二丁目665番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
東葉高等学校(とうようこうとうがっこう)は、千葉県船橋市飯山満町二丁目にある私立高等学校。通称は「東葉高校(とうようこうこう)」だが、年配者の間では今でも「船女(ふなじょ)」と呼ぶ場合がある。
学科
[編集]- 全日制課程 普通科
沿革
[編集]- 1925年(大正14年) - 教育者の賀川宣勝[注釈 1]と古賀米吉[注釈 2]によって船橋実科高等女学校として開校。
- 1928年(昭和3年) - 船橋高等女学校に改称
- 1948年(昭和23年) - 船橋学園女子中学校・高等学校となる。
- 1996年(平成8年) - 東葉高等学校と改称、校地を船橋市宮本六丁目から現校地に移転。
- 2005年(平成17年) - 男女共学となる。
- 2007年(平成19年) - 通信制課程を開設
- 2020年(令和2年)3月 - 通信制課程の新入生募集停止[1]
東葉門(旧近藤四郎左衛門家長屋門)
[編集]歴史
[編集]この正門は明治中期に上飯山満村(現在の飯山満町)の旧家近藤四郎左衛門家の屋敷の長屋門として造られたもので[2]、桁行11巻2尺(約20.6m)・梁間2間半(約4.5m)ある[3]。東葉高等学校が近藤家の屋敷跡に移転するのにあたり修復され[3]、現在は「東葉門」の名称で同校の正門として活用されている[3]。 また、この門は国の登録有形文化財に登録されており[3]、日々通学門として親しまれている。
旧家近藤四郎左衛門家
[編集]近藤四郎左衛門家は、江戸時代において上飯山満村の名主総代を務めていた豪農で[2]、苗字・帯刀を許され、江戸時代末期には同村に接していた小金下野牧と呼ばれた幕府管轄の牧場の管理(牧士)を命じられた家柄だった[2]。1849年(嘉仁2年)の12代将軍徳川家慶の獅子狩りの功績で、中野牧の牧士を兼任し、帯刀・乗馬・鉄砲の所持を許され、村人は近藤四郎左衛門家のことを大近藤(おおこんどう)と呼び「水戸の黄門か、飯山満の四郎左衛門か」と云われたが、昭和の初期に行われた農地改革によって没落してしまった。農地改革で手放した田畑は120町歩にも及んだとされる。なお、この門は歌舞伎役者の阪東妻三郎が無声映画「野火の兄妹」を製作した際に、撮影に使われている。[要出典]
飯山満地区に「近藤」という姓の旧家が多いのは、この近藤四郎左衛門家に由来する。[要出典]
アクセス
[編集]著名な出身者
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の千葉県立船橋高等学校の創始者
- ^ 市川学園の創立者
出典
[編集]- ^ 通信制課程 生徒募集停止について – 学校法人船橋学園 東葉高等学校 2020年6月28日閲覧
- ^ a b c “飯山満ってどんなところ?”. 船橋市ホームページ. 船橋市. 2023年3月9日閲覧。
- ^ a b c d 千葉県. “東葉高等学校正門(旧近藤家住宅長屋門)”. 千葉県. 2023年3月9日閲覧。
関連項目
[編集]- 千葉県立船橋高等学校 - 船橋高校と創始者が同じである
- 市川中学校・高等学校 - 役員や教職員の交流があるなど関係が深い
- 千葉県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (千葉県)
- 日本の通信制高等学校一覧