朴萬福

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朴 萬福
박만복
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
生年月日 (1936-12-12) 1936年12月12日
出身地 大韓民国の旗 ソウル特別市
没年月日 (2019-09-29) 2019年9月29日(82歳没)
ラテン文字 Park Man-bok
朝鮮語表記 박만복
血液型 O型[1]
獲得メダル
ペルーの旗 ペルー
オリンピック
1988 ソウル特別市
世界選手権
1982 リマ
1986 プラハ
パンアメリカン競技大会
1979年 サンフアン
1983年 カラカス
1987年 インディアナポリス
1991年 ハバナ
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朴 萬福(パク・マンボク、ぼく・まんぼく[1]、ハングル表記:박만복、ラテン翻記:Park Man-bok、1936年12月12日 - 2019年9月26日)は、大韓民国バレーボール指導者である[1]。元ペルー女子代表監督。

来歴[編集]

日韓併合時代の京城府(現ソウル特別市)出身。1974年にペルーバレーボール協会の招聘により、加藤明監督の下でコーチに就任した。同年10月にグアダラハラで開催された世界選手権では8位に食い込んだ[2]

1981年にメキシコシティで開催されたジュニア世界選手権では監督として準優勝を果たした。1982年に加藤が急死すると朴は監督に昇格し、同年10月に自国開催となった世界選手権では銀メダルを獲得[3]。凱旋帰国となった1988年のソウルオリンピックでも準優勝に導いた[4]。ペルー女子代表は偉大な足跡を残し、朴の教え子らにはデニセ・ファハルドセシリア・タイトガブリエラ・ペレスセナイダ・ウリベナタリア・マラガらがいる。

1994年から4シーズンに渡り、日本のVリーグイトーヨーカドー・プリオールの監督・総監督を務めた[1]。1999年からはペルー代表監督に復帰した。

2016年7月、朴は大韓民国出身者初となるバレーボール殿堂入りの栄誉に浴した[5]。ペルー女子代表関係者としては、セシリア・タイト(2005年)、ガブリエラ・ペレス(2010年)に続き3人目の殿堂入りとなった[5]

2019年9月26日、ペルー・リマに於いて亡くなった[6]。82歳没

指導者歴[編集]

戦績[編集]

本節では、朴がコーチ、監督として率いたペルー代表の戦績を記す。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 月刊バレーボール1995年1月号臨時増刊 第1回Vリーグ観戦徹底ガイドブック 100ページ
  2. ^ インターネットアーカイブ - volleyball almanac. “WOMEN'S WORLD CHAMPIONSHIP 1974”. 2007年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月11日閲覧。
  3. ^ Peru: El Mundial Femenino, Servido” (Spanish). El Mundo Deportivo (1982年6月18日). 2012年12月15日閲覧。
  4. ^ 朴萬福”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  5. ^ a b バレーボール殿堂. “Meet the Class of 2016”. 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月8日閲覧。
  6. ^ “Man Bok Park: Murió legendario entrenador de la selección de vóley” (スペイン語). Andina. Editora Perú. (2019年9月26日). https://andina.pe/agencia/noticia-man-bok-park-murio-legendario-entrenador-de-seleccion-voley-767833.aspx 2019年9月29日閲覧。 

外部リンク[編集]