朴容錫

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朴容錫
박용석
生年月日 1928年
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道
没年月日 2007年3月17日
出身校 金日成総合大学
万景台革命学院
モスクワ運輸鉄道大学
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章
親族 金一

当選回数 7回
在任期間 1967年11月22日 - 1972年12月
1977年11月 - 2007年3月17日
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年

朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会検閲委員会委員長
在任期間 1999年8月 - 2007年3月17日
総書記 金正日1997年 - 2011年

朝鮮民主主義人民共和国の旗 政務院交通委員会委員長
在任期間 1985年9月 - 1986年3月
政務院総理 姜成山1984年 - 1986年

朝鮮民主主義人民共和国の旗 政務院鉄道部長
在任期間 1977年4月 - 1979年
1986年3月 - 1998年9月5日
政務院総理 朴成哲1976年 - 1977年
李鐘玉1977年 - 1984年
姜成山1984年 - 1986年
李根模1986年 - 1988年
延亨黙1988年 - 1992年
姜成山1992年 - 1998年

在任期間 1972年9月 - 不明
1982年6月 - 不明
総書記 金日成1966年 - 1994年

その他の職歴
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員
1970年11月2日 - 2007年3月17日
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朴容錫
各種表記
チョソングル 박용석
発音 パク・ヨンソク
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朴 容錫(朴勇石、パク・ヨンソク、朝鮮語: 박용석1928年 - 2007年3月17日)は、朝鮮民主主義人民共和国政治家。政務院鉄道部長、朝鮮労働党中央委員会検閲委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会委員などを歴任した。初代政務院総理金一(本名、朴徳山)の息子[1]

経歴[編集]

1928年日本統治下咸鏡北道で生まれた[2]。父親は後に初代政務院総理を務める金一[1]万景台革命学院金日成総合大学を卒業後[2]、ソ連のモスクワ運輸鉄道大学に留学した[2]1961年に交通省都市設計局長に任命され[2]1961年に交通省副相に転じた[2]1967年11月最高人民会議第4期代議員に選出された[2]。第5期では脱落したが第6期から第11期まで連続当選を果たし、死去まで代議員に在職した[2]1969年朝鮮労働党中央委員会部長に任命され[2]1970年11月に開かれた朝鮮労働党第5回大会で党中央委員会委員に選出された[2]1972年に党中央委員会建設運輸部長[2]1977年にには政務院交通委員会傘下の鉄道部長に任命され[2]1979年まで在任。1980年10月に開かれた朝鮮労働党第6回大会で党中央委員に再選し、1982年に党中央委員会建設運輸部長に再任された[2]。同年、金日成勲章を受章[2]1985年に政務院交通委員会委員長に任命された[2]1986年に鉄道部長に転じ[2]1998年9月5日に開かれた最高人民会議第10期第1会議で解任されるまで、12年間在任した[1][注釈 1]

1994年7月8日金日成主席が死去し国家葬儀委員会が組織されると、同委員会委員に選ばれた[2]1999年8月朝鮮労働党中央委員会検閲委員会委員長に選出された。2001年3月曽慶紅中国共産党中央組織部長が訪朝した際に開かれた宴会に参加し[4]7月1日金正日総書記中国大使館を訪問した際に同行した[5]2004年9月にはアジア政党国際会議総会に参加するため朝鮮労働党代表団を率いて中国を訪問。9月3日胡錦濤国家主席と会談し、9月4日には呉官正中国共産党中央規律検査委員会書記と会談[6]9月5日には何勇中国共産党書記処書記兼中央規律検査委員会副書記と会談した[7]

2007年3月18日に転移性癌により死去[1]朝鮮労働党中央委員会最高人民会議常任委員会は「チュチェの革命偉業の勝利のためにすべてを捧げて闘争してきた忠実な革命戦士」であったと評価した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 北 박용석 당중앙위 검열위원장 사망 デイリーNK 2007年3月18
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 박용석 朴容錫북한지역정보넷
  3. ^ 中川雅彦 1994, 70頁.
  4. ^ 북-중, 친선협조관계 강화 다짐 統一ニュース 2001年3月21日
  5. ^ 김 총비서 중국대사관 방문 수행원 면면 統一ニュース 2001年7月2日
  6. ^ 후진타오, 北노동당 대표단 만나 統一ニュース 2004年9月5日
  7. ^ 北 노동당 대표단, 中國 당서기 만나 統一ニュース 2004年9月7日

注釈[編集]

  1. ^ 1994年版の朝鮮中央年鑑によると政務院から鉄道部が削除されたが、組織として存続しており、他部署の傘下になった可能性があるという[3]。この間、朴が閣僚の地位にあったかは不明

参考文献[編集]

  • 中川雅彦『「偉大な首領」の死去 : 1994年の朝鮮民主主義人民共和国』アジア経済研究所、1995年。 
 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
不明
朝鮮労働党中央委員会検閲委員会委員長
1999年 - 2007年
次代
2010年まで空位
金国泰
先代
崔徳弘
鉄道部長
1986年 - 1998年
次代
鉄道相
金容三
先代
金会一
交通委員長
1985年 - 1986年
次代
李吉松
先代
不明
鉄道部長
1977年 - 1979年
次代
姜成山