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有明 (初春型駆逐艦)

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艦歴
発注 マル1計画
起工 1933年1月14日
進水 1934年9月23日
就役 1935年3月25日
その後 1943年7月28日戦没
除籍 1943年10月15日
性能諸元(計画時)
排水量 基準:1,400t
公試:1,680t
全長 109.5m
全幅 10.6m
吃水 3.5m
機関 オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp
最大速 35.0ノット
兵員 205名
兵装 50口径12.7cm連装砲 2基4門
50口径12.7cm単装砲 1基1門
40mm単装機銃 2基
61cm3連装魚雷発射管 3基9門
(八年式魚雷18本)

有明(ありあけ)は、日本海軍駆逐艦初春型の5番艦(改初春型1番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。

艦歴

神戸川崎造船所1933年(昭和8年)1月14日に起工した。建造初期の段階で同型艦「初春」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦と同型艦「夕暮」は「改初春型」とも呼ばれる。1935年(昭和10年)3月25日に竣工した。

太平洋戦争開戦時には第1艦隊第1水雷戦隊第27駆逐隊に属し、柱島泊地に所在していた。1942年(昭和17年)1月下旬からアンボン攻略作戦、ポートダーウィン攻撃、インド洋機動作戦、5月の珊瑚海海戦に加わり、6月のミッドウェー海戦では空母「鳳翔」の護衛として参加。7月14日、第2艦隊第4水雷戦隊に編入された。8月22日、ナウル島を砲撃し、25日に陸戦隊を揚陸した。10月1日、ラバウルに進出、ガダルカナル島輸送作戦に6回従事した。12月20日にムンダ輸送作戦に従事し、その後の26日「卯月」救援作業中に爆撃を受け中破、佐世保で修理を行った。

1943年(昭和18年)2月以降、内地~トラック~ラバウル間の護衛任務を行った。7月28日、ラバウルからツルブへの輸送作戦からの帰途、ニューブリテン島沖で、米軍機の攻撃を受け沈没した。川橋艦長以下7名が戦死した。

歴代艦長

艤装員長

  1. 天野重隆 少佐:1934年11月1日 -

艦長

  1. 天野重隆 少佐:1935年3月25日 -
  2. 榎尾義男 少佐:1936年12月1日 -
  3. 磯久研磨 少佐:1937年12月1日 -
  4. 古閑孫太郎 少佐:1938年6月14日 -
  5. 緒方友兄 少佐:1939年3月20日 -
  6. 吉井五郎 少佐:1939年11月15日 -
  7. 吉田正一 少佐:1940年10月15日 -
  8. 川橋秋文 少佐:1943年7月15日 - 7月28日戦死

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。