月輪忠基

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月輪忠基
時代 鎌倉時代後期
生誕 不詳
死没 元応元年(1319年
改名 冬家→忠基
官位 従三位右中将
主君 後二条天皇花園天皇後醍醐天皇
氏族 藤原氏九条家庶流月輪家
父母 父:月輪良忠、母:不明
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月輪 忠基(つきのわ ただもと)は、鎌倉時代後期の公卿。非参議従三位右中将。父は正三位右中将月輪良忠。光明照院関白二条兼基の猶子となる。後嗣がなかったため、内大臣九条基家の後裔である月輪家は父良忠の弟良兼の子孫が継いでいくことになった。

経歴[編集]

以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。

脚注[編集]

  1. ^ この時、冬家
  2. ^ 少将は元の如し
  3. ^ 文保から元応への改元はこの年の4月28日であるため、薨去したのは改元以後か

参考文献[編集]