月岡利明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
月岡 利明 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ツキオカ トシアキ
ラテン文字 TUKIOKA Toshiaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-11-14) 1971年11月14日(46歳)
出身地 宮崎県
選手情報
ポジション DF
ユース
1987-1989 宮崎県立宮崎工業高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991
1990-1991
1992
マツダ
マツダSC東洋
サンフレッチェ広島
0(0)
?(?)
-(-)
監督歴
?-1998
1999-2000
2001
2006-2009
2010-2011
広島ジュニア監督
広島ジュニアユースコーチ
広島ジュニアユース監督
比治山大学監督
レノファ山口FC監督
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

月岡 利明(つきおか としあき、1971年11月14日[1] - )は、宮崎県出身[1] の元サッカー選手(DF)、指導者(JFA 公認A級コーチ)。

来歴[編集]

宮崎県立宮崎工業高等学校卒業。1990年、マツダSC(のちのサンフレッチェ広島)に入団。同期に片野坂知宏吉本祐一永田隆二ら。トップチームに登録されず、2軍であるマツダSC東洋でプレーした。1992年にはサンフレッチェ広島の選手としてJリーグカップに選手登録されている。

Jリーグ開幕後はサンフレッチェ広島とプロ契約を結ばず引退し、下部組織コーチとして活躍[1]槙野智章森重真人左山晋平平繁龍一らはジュニアユース監督時代の教え子。当時FWだった槙野と森重をDF・MFにそれぞれコンバートしたのは月岡である[2]。2001年からは広島のユース専門スカウトとして活動していた。

また、2006年6月からはスカウト業務のかたわら、比治山大学サッカー部監督も務め、2007年シーズンは過去最高順位のリーグ戦4位で天皇杯大学予選の出場権獲得。

2010年3月、将来のJリーグ参入を目指すレノファ山口の監督に就任[3]。同年度、中国サッカーリーグでは優勝[1] するも同年度の全国地域決勝大会ではグループリーグで敗退し日本フットボールリーグ(JFL)昇格はならず[4]。翌2011年は中国リーグで2位となり同年度の全国地域決勝大会に出場ならず、さらに同年度の全社も中国予選で敗退し、JFL昇格はならなかった[5]。同年末を持って監督を退任する[6]

その後、東広島市のいくつかの若年層年代のコーチとして活動し、2013年よりBurilo東広島FC監督を務めている。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990 マツダSC東洋 中国
1991
1992 広島 - J - 0 0 0 0 9 0
通算 日本 J 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 中国
総通算

監督成績[編集]

年度 チーム 所属 試合数 勝点 勝利 引分 敗戦 順位 ナビスコ杯 天皇杯
2010 レノファ山口 中国 18 43 14 1 3 優勝 - 2回戦敗退
2011 18 41 13 2 3 2位 - 1回戦敗退

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d 今週の顔”. サンデー山口 (2010年10月13日). 2011年10月5日閲覧。
  2. ^ 「あの頃僕は 槙野智章」、ASSIST2010年夏号、P.36
  3. ^ レノファ山口FC、チーム体制発表会で新監督の就任発表”. 山口宇部経済新聞 (2010年3月29日). 2011年10月5日閲覧。
  4. ^ 今年こそJFL昇格 レノファ山口が必勝祈願”. 山口新聞 (2011年1月23日). 2011年10月5日閲覧。
  5. ^ レノファ、有終の美もL残留”. 中国新聞 (2011年9月29日). 2011年10月5日閲覧。
  6. ^ 契約満了に伴う月岡監督退任のお知らせ”. レノファ山口公式 (2012年1月14日). 2012年1月24日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]