新沢千塚古墳群

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新沢千塚古墳群のステレオ空中写真(1974年) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)は、奈良県橿原市北越智町・川西町に位置する前期〜後期[1]に形成された日本有数の大古墳群(群集墳)である。1976年(昭和51年)3月31日に国の史跡に指定された。

概要[編集]

奈良盆地の南部にある畝傍山の南方に広がる東西2キロメートル、南北約2キロメートル余りの丘陵(越智岡丘陵、標高約150メートル)に位置する、径約10〜15メートルの円墳など総数600基以上の一群の墳墓(群集墳)である。これらの墳墓は4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られた。「川西(かわにし)千塚」「鳥屋(とりや)千塚」とも呼ばれた。この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていない。

発掘調査は1947年(昭和22年)に始まり、1962年(昭和37年)には本格的調査が実施された。このとき粘土槨を内部主体とする500号(前方後円墳)を含む23基の古墳が発掘された。500号墳では古墳時代前期に類する副葬品が検出され、その中には懸垂鏡といわれる珍しい銅鏡が含まれていた。その後史跡にも指定されている。

1960年代同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。武具・馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、5世紀後半の126号墳[2]からは金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土[3]し、また火熨斗(ひのし、炭を入れてアイロンとして使用した金属器)が日本で初めて出土したり、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られる[要出典]ローマンガラス製品が出土したりするなど、全国的に大きな話題となった。2014年には出土品のガラス皿について、化学組成がローマ帝国領内で出土したローマ・ガラスとほぼ一致することが東京理科大学の阿部善也らの蛍光X線分析で判明した。これは日本国内の古墳出土品のガラス器がローマ帝国伝来と裏付けられた初めての例である[4]

126号墳の出土品は東京国立博物館に所蔵されており、一括して国の重要文化財に指定されている。

参考文献[編集]

  • 西藤清秀/文化庁文化財保護部史跡研究会監修 『新沢千塚古墳群/図説 日本の史跡 第3巻 原始3』 同朋舎出版、1991年ISBN 978-4-8104-0926-0

脚注[編集]

  1. ^ 最盛期は中期の後半から後期前半までと考えられている(西藤(1991) 77-79ページ)。
  2. ^ 1963年(昭和38年)調査。東西約22メートル、南北約18メートルの長方形墳。長さ約3.1メートルの割竹形木棺を直葬している(西藤(1991) 77-79ページ)。
  3. ^ 頭の所には冠の金具とみられる竜の形の透かし彫りのある金製方形板、そばに3条の細かい鎖付の耳飾りと金銭をコイル状にした髪飾りが一対、首飾りにはヒスイの勾玉や金・銀・ガラス製玉類、左腕には金製と銀製の腕輪、右腕には銀製の腕輪、指には5個の金製指輪と3個の銀製指輪、腰部には金メッキの飾り板付きベルト、足元には靴に付けられていたガラス玉が散らばっていた。また、棺内全体に金製の歩揺(ほよう)が散らばっていた(西藤(1991) 77-79ページ)。
  4. ^ 奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致朝日新聞、2014年11月13日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度28分40.3秒 東経135度46分26.2秒 / 北緯34.477861度 東経135.773944度 / 34.477861; 135.773944