張炳晩

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張 炳晩(チャン・ビョンマン、朝鮮語: 장병만1900年7月17日 - 没年不詳)は、大韓民国政治家制憲国会議員[1]

経歴[編集]

大韓帝国慶尚北道漆谷郡出身。明治大学法学専門部、明倫専門学校(現・成均館大学校)卒業。1945年に呂運亨を中心とした朝鮮建国準備委員会で活動した後、1946年に大韓独立促成国民会に加入し、1947年に独立促成国民会漆谷郡会長に選出された。1948年の初代総選挙に大韓独立促成国民会の公認で立候補して当選し、国会議員を1期務めた[1][2]朝鮮戦争の初期に北朝鮮に拉致され[2]龍岡温泉老人ホームに入所させられたとされる[3]。1956年7月、在北平和統一促進協議会の中央委員を務め[4] 、1958年に朔州郡の協同農場に移住した[5]。以降の消息、没年ともに不明。

脚注[編集]

  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年8月13日閲覧。
  2. ^ a b 장병만(張炳晩)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月13日閲覧。
  3. ^ 죽음의歳月(세월) (54)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1962年6月11日). 2023年8月13日閲覧。
  4. ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、311頁。NDLJP:2973328/215 
  5. ^ 북한총람 중 납북인사명단(4)-아자차하 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年9月9日閲覧。