張洪琰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

張 洪琰(チャン・ホンヨム、朝鮮語: 장홍염1910年11月25日 - 1990年11月5日)は、日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国政治家制憲・第2代韓国国会議員[1]本貫仁同張氏[2]

大韓民国臨時政府外務部長の張柄俊、独立運動家で鉄道公務員の張柄祥は兄[2][3][4]、元国会議員の朴敬錫は娘婿、元産業資源部長官・国会議員の張在植朝鮮語版は甥、元女性家族部長官の張夏真朝鮮語版経済学者張夏準張夏成朝鮮語版らは従孫(兄の張柄祥の孫)[2][3]

経歴[編集]

全羅南道新安郡長山島朝鮮語版[2]または木浦出身。徽文高等普通学校(現・徽文高等学校)を5学年時に中退後、北京大学経済科修了。1929年に光州学生運動に参加し、1932年に北京で日本の警察に逮捕され、京城地方法院で保安法違反で懲役1年、執行猶予4年を宣告された[4]

満州新興武官学校を経て、韓国光復軍において全南地区隊参謀長を務めた[4]。1948年に韓国民主党から初代総選挙に立候補して当選、続いて民主国民党から第2代総選挙に立候補して当選した[1]

交通事故の後遺症により病院にて80(または81)歳で死去した[5]。1993年に建国勲章愛族章が追叙された[4]。2016年に故郷の長山島に胸像が設置された[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年3月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e 신안 장산에 독립운동가 장홍염 선생 흉상 건립” (朝鮮語). mobile.newsis.com (2016年12月28日). 2023年9月28日閲覧。
  3. ^ a b [인터뷰] 張在植 前 산업자원부 장관” (朝鮮語). monthly.chosun.com (2010年7月26日). 2023年9月28日閲覧。
  4. ^ a b c d 장홍염(張洪琰)”. 한국역대인물 종합정보 시스템 - 한국학중앙연구원. 2023年9月28日閲覧。
  5. ^ 制憲(제헌)-2대의원 張洪琰(장홍염)옹”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1990年11月6日). 2023年3月25日閲覧。