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岩越武兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩越 武兵衛[1](いわこし ぶへえ、1869年12月18日明治2年11月16日[2] - 没年不明)は、日本実業家、広島県多額納税[3][4][5]家主[6][注 1]。旅館料理業[7]、岩越[8]。族籍は広島県平民[7][9]

経歴

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広島県・岩越九兵衛の二男[9]。3歳にして父・7代九兵衛を失い、1886年、兄・猪三郎を失う[3]。同年、家督を相続する[3]

1889年呉市に来て旅館割烹業を営む[3]。呉市芸妓置屋組合長[7]、日本味噌、花園各社長、山陽合同製壜取締役、呉第一銀行監査役などをつとめる[3]

人物

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貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[2]。住所は呉市中通六丁目[4][5][7][8][9]

家族・親族

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岩越家

岩越家は元越後藩士で、祖先・平助が広島に移り、曽祖父・仙造に至り故あって町人となり、御蔵前御用及び御材木場の主役人を勤める[3][10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 呉新聞1925年8月8日号の「毎月二百圓以上の家賃が這入る家主」によると、岩越武兵衛は「戸数33、家賃574円」である[6]

出典

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  1. ^ a b 『広島県紳士名鑑』呉市之部2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
  2. ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』473頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第8版』イ234頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
  4. ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 広島県61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月22日閲覧。
  5. ^ a b 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 広島県61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月18日閲覧。
  6. ^ a b 砂本文彦「呉鎮守府水道並びに呉市水道布設に伴う旱害補償交渉と軍港都市呉の住宅地形成」2643頁。日本建築学会計画系論文集2013年78巻694号。2022年8月26日閲覧。
  7. ^ a b c d 『大日本長者名鑑』中国1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年9月30日閲覧。
  8. ^ a b 『呉商工案内』商工人名録17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月3日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第7版』い105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
  10. ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』イ298頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月29日閲覧。

参考文献

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  • 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
  • 呉商工会『呉商工案内』呉商工会、1919年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
  • 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。