山田幸一

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山田 幸一
人物情報
生誕 (1925-10-30) 1925年10月30日
日本の旗 日本 京都府京都市
死没 1992年7月20日(1992-07-20)(66歳)
日本の旗 日本 京都府京都市
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 建築学
研究機関 大阪市立大学関西大学
学位 工学博士
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山田 幸一(やまだ こういち、1925年10月30日 - 1992年7月30日[1])は、建築学

経歴[編集]

1925年、京都市で由緒ある左官屋に生まれた[2]京都帝国大学工学部建築学科で学び、戦後の1949年に卒業。一級建築士として、鹿島建設に勤務。一方で、京都大学大学院特別研究生として学んだ。

1953年大阪市立大学講師に就いた。1961年、学位論文『日本壁の歴史的研究』を京都大学に提出して工学博士号を取得[3]。1963年、助教授昇格。1968年関西大学工学部教授となった[4]。大学では、日本建築史だけでなく、一般構造学、建築設計製図の講義や演習なども担当。また関西大学が企画した日印共同「伝祇園精舎発掘プロジェクト」にも参加した。

1992年、京都市内で死去した。

著作[編集]

著書
  • 左官工事 材料と施工法』工業調査会 1971
  • 『壁 ものと人間の文化史』法政大学出版局 1981
  • 『日本壁 技術と意匠』学芸出版社 建築技術選書 1983
  • 『日本壁のはなし 物語ものの建築史』鹿島出版会 1985
  • 『図解日本建築の構成 構法と造形のしくみ』彰国社 1986
  • 『閃光・轟音・純白の巨柱動員学徒の見た広島原爆』私家版 1991[5]
共著編
  • 『図学精義』宮崎興二共著 工業調査会 1972
  • 『日本の壁』編著 井上博道写真 駸々堂出版 1982
翻訳
  • N.デヴィー『建築材料の歴史』工業調査会 1969
論文

参考[編集]

  • 「山田幸一先生を偲んで」『建築史学』21, 建築史学会, 1993年, 106-108頁.pdf

[編集]

  1. ^ 『人物物故大年表』
  2. ^ 「山田幸一先生を偲んで」
  3. ^ CiNii(学位論文)
  4. ^ 『現代日本人名録』1987年
  5. ^ 終戦直前に体験した広島での悲劇を書き綴っている。