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尾藤義昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾藤義昭
びとう よしあき
生年月日 (1946-02-14) 1946年2月14日(78歳)
出生地 日本の旗 日本 岐阜県関市
出身校 中京大学商学部卒業
前職 衆議院議員秘書
所属政党自由民主党→)
無所属→)
自由民主党
子女 尾藤すみれ
公式サイト 尾藤義昭 びとうよしあき 公式 | 岐阜県関市 | 政治家

岐阜県の旗 第127代 岐阜県議会議長
在任期間 2018年5月8日 - 2019年5月8日

当選回数 1回
在任期間 2007年9月22日 - 2011年9月21日

岐阜県の旗 第114代 岐阜県議会副議長
在任期間 2006年5月9日 - 2007年5月8日

岐阜県の旗 岐阜県議会議員
選挙区 (関市選挙区→)
関市・美濃市選挙区
当選回数 8回
在任期間 1991年 - 2007年
2015年 - 現職

当選回数 2回
在任期間 1982年 - ?
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尾藤 義昭(びとう よしあき、1946年昭和21年〉2月14日[1] - )は、日本政治家。元関市長岐阜県議会議員(自由民主党)。

2007年(平成19年)、関市長選で当選。2011年(平成23年)に落選するまで1期4年を務めた。

略歴

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関市生まれ[2]中京大学商学部卒業[3]1970年(昭和45年)、松野幸泰の秘書となった[2]1982年(昭和57年)、関市議会議員に当選して2期務める[2]1991年(平成3年)の岐阜県議会議員選挙に関市選挙区から自民党公認で立候補して、初当選を果たした[3]2006年(平成18年)5月9日から2007年(平成19年)5月8日まで、第114代岐阜県議会副議長を務めた[4]。同年の県議選で当選した[5]。同年、関市長選挙に立候補して初当選を果たした。9月22日に市長に就任した[6]

2011年関市長選挙

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再選を目指して立候補したが、前市議の尾関健治に敗れて落選した[7]


※当日有権者数:-人 最終投票率:62.03%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
尾関健治39無所属24,863票55.0%-
尾藤義昭65無所属20,340票45.0%-

9月21日に退任した[8]

2015年(平成27年)の県議選で関市選挙区から自民党公認で立候補して、返り咲きを果たした[9]2018年(平成30年)5月8日から2019年(令和元年)5月8日まで第127代岐阜県議会議長を務めた[4]。同年の県議選では関市・美濃市選挙区から立候補して当選した[10]2023年(令和5年)の県議選で8選を果たした[11][12]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、217頁。
  2. ^ a b c 尾藤義昭について | 尾藤義昭 びとうよしあき 公式 | 岐阜県関市”. 尾藤義昭 びとうよしあき 公式. 2024年10月20日閲覧。
  3. ^ a b 毎日選挙全記録 1991統一地方選挙 68コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 歴代議長・副議長 - 岐阜県公式ホームページ”. www.pref.gifu.lg.jp. 2024年10月20日閲覧。
  5. ^ 岐阜県議会議員選挙 - 関市選挙区候補者一覧 - 2007年04月08日投票 | 岐阜県”. 選挙ドットコム. 2024年10月20日閲覧。
  6. ^ 全国市長会ホームページ - 平成19年市長選挙結果”. www.mayors.or.jp. 2024年10月20日閲覧。
  7. ^ 関市長選挙 - 2011年09月11日投票 | 岐阜県関市”. 選挙ドットコム. 2024年10月20日閲覧。
  8. ^ 全国市長会ホームページ - 平成23年市長退任状況”. www.mayors.or.jp. 2024年10月20日閲覧。
  9. ^ 岐阜県議会議員選挙 - 関市選挙区候補者一覧 - 2015年04月12日投票 | 岐阜県”. 選挙ドットコム. 2024年10月20日閲覧。
  10. ^ 岐阜県議会議員選挙 - 関市・美濃市選挙区候補者一覧 - 2019年04月07日投票 | 岐阜県”. 選挙ドットコム. 2024年10月20日閲覧。
  11. ^ 岐阜県議会議員選挙 - 関市・美濃市選挙区候補者一覧 - 2023年04月09日投票 | 岐阜県”. 選挙ドットコム. 2024年10月20日閲覧。
  12. ^ 尾藤義昭 - 岐阜県公式ホームページ”. www.pref.gifu.lg.jp. 2024年10月20日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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