尚寅
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しょう いん 尚 寅 | |
|---|---|
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尚寅男(『琉球見聞録 : 附・琉球三冤録』より) | |
| 生誕 |
尚泰王 第四王子 思樽金 1866年11月22日 (同治5年10月16日) (現: |
| 死没 |
1905年2月17日(38歳没) |
| 墓地 | 宜野湾御殿の墓 |
| 住居 | 宜野湾御殿 |
| 国籍 |
|
| 別名 |
宜野湾王子朝広 宜野湾御殿一世 |
| 職業 |
王族 貴族 実業家 |
| 肩書き |
宜野湾間切按司地頭 琉球新報 創設者 |
| 運動・動向 | 公同会運動 |
| 宗教 | 祖先崇拝 |
| 配偶者 | 大山按司加那志(伊江朝永三女) |
| 親 |
尚泰王 佐敷按司加那志 |
| 栄誉 |
正五位 男爵 |
尚 寅(しょう いん、宜野湾王子朝広、1866年11月22日〈同治5年10月16日〉- 1905年〈明治38年〉2月17日)は、琉球国尚泰王の次子。男爵。宜野湾御殿の元祖。童名・思樽金。
略歴
[編集]1866年11月22日(同治5年10月16日)、父・尚泰王の次子として生まれた。1875年(光緒元年)、宜野湾間切の按司地頭になる。1879年(明治12年)の琉球処分後、東京移住の命令により、父ともに上京する。
1884年(明治17年)10月10日に元服。翌日、結婚。1887年(明治20年)には尚順(松山王子)とともに沖縄に帰郷。その後公同会運動を展開した。1896年(明治29年)、弟・尚順らと琉球新報を創刊。同年6月30日には、男爵を授かる。
栄典
[編集]- 位階
- 爵位
家族
[編集]墓
[編集]
脚注
[編集]関連項目
[編集]| 爵位 | ||
|---|---|---|
| 先代 叙爵 |
男爵 尚家(分家)初代 1896年 - 1905年 |
次代 尚琳 |