長谷川季子
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(小野道子から転送)
はせがわ としこ 長谷川季子 | |
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1953年 | |
本名 | 長谷川季子 |
別名義 | 小野道子 |
生年月日 | 1934年9月12日(90歳) |
出生地 | 大阪府大阪市南区 |
著名な家族 |
初代中村鴈治郎(祖父) 長谷川一夫(父) 林成年(兄) 長谷川稀世(妹) |
所属劇団 | 宝塚歌劇団星組・雪組 |
長谷川 季子(はせがわ としこ、1934年9月12日 - 、本名:同じ)は、日本の女優。小野道子の芸名でも知られた。元宝塚歌劇団娘役[1]。父は俳優の長谷川一夫。母・たみは初代中村鴈治郎の次女。兄は俳優の林成年。
来歴
[編集]大阪市南区出身。1950年、京都の嵯峨野中学を卒業し宝塚音楽舞踊学校に入り、翌1951年、宝塚歌劇団に入る。宝塚入団時の成績は34人中1位[1]である。38期生。『昔噺舌切雀/春のおどり』で初舞台を踏む。同年、本名で東宝映画『若人の歌』に出演。その後いくつかの映画に出演。
1952年、宝塚では星組[1]に配属され、その後、雪組[1]異動となる。宝塚の最終出演公演は『日本の祭りと民謡/土蜘/フォスター物語』[1]である。
1956年3月31日[1]、宝塚歌劇団を退団し、大映に入社。同年、小野道子の芸名で『祇園の姉妹』で初主演。『愛の海峡』では川崎敬三を相手役に主演。その後は脇に回ることが多くなる。
1961年、芸名を本名の長谷川季子に戻す。
1962年、大映を退社し、舞台『銭形平次』で平次の女房役お静を長く務めた。
出演作品
[編集]映画
[編集]- 若人の歌(1951年)
- 七人の兄いもうと(1955年)
- 祇園の姉妹(1956年)
- スタジオは大騒ぎ(1956年)
- 夜の河(1956年)
- 惚れるな弥ン八(1956年)
- 月形半平太 花の巻 嵐の巻(1956年)
- 愛の海峡(1956年)
- 四十八歳の抵抗(1956年)
- いとはん物語(1957年)
- スタジオはてんやわんや(1957年)
- 鼠小僧忍び込み控 子の刻参上(1957年)
- 大阪物語(1957年)
- 朝の口笛(1957年)
- 満員電車(1957年)(壱岐留奈役 小野道子名義)
- 残月講道館(1957年)
- 万五郎天狗(1957年)
- 銭形平次捕物控 女狐屋敷(1957年)
- 森の石松(1957年)
- 清水港喧嘩旅(1957年)
- 春高樓の花の宴(1958年)
- 母(1958年)
- 忠臣蔵(1958年)
- 大阪の女(1958年)
- 巨人と玩具(1958年)
- 赤線の灯は消えず(1958年)
- 嵐の講道館(1958年)
- 東海道の野郎ども(1958年)
- 夜の素顔(1958年)
- 血文字船(1958年)
- 濡れた瞳(1959年)
- 情炎(1959年)
- お嬢吉三(1959年)
- 電話は夕方に鳴る(1959年)
- 女経 第三話 恋を忘れていた女(1960年)
- 明日から大人だ(1960年)
- からっ風野郎(1960年)
- 扉を叩く子(1960年)
- 歌行燈(1960年5月18日)
- お琴と佐助(1961年10月14日)
- 続悪名(1961年12月17日)
- 黒の試走車(1962年7月1日)
テレビ番組
[編集]- 風雪 第2回「最後の将軍」(1964年、NHK) - 側室萩野 役
- 銭形平次 第63話「化粧する女」(1967年、CX)
- おんなの劇場「吉野太夫」(1970年、CX) - 葛木 役
- 土曜ワイド劇場 / 海は誘惑する・危ない恋人(1981年、ANB)
- 俺はご先祖さま(1981年、NTV)
舞台
[編集]- 江戸の紅葵
- 花吹雪二人桜
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』小林公一・監修、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、48頁。ISBN 9784484146010。