小林正則 (政治家)

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小林 正則
こばやし まさのり
生年月日 (1952-07-24) 1952年7月24日(66歳)
出身校 産業能率大学
所属政党社会民主連合→)
新党さきがけ→)
民主党→)
無所属
公式サイト 市長の部屋

当選回数 3回
在任期間 2005年 - 現職

選挙区 小平市選挙区
当選回数 3回
在任期間 1993年 - 2005年

当選回数 2回
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小林 正則(こばやし まさのり、1952年7月24日 - )は、日本政治家東京都小平市長(3期)。小平市議会議員(2期)・東京都議会議員(3期)を務めた。

概要[編集]

新潟県立三条工業高等学校(現:新潟県立新潟県央工業高等学校)を経て産業能率大学卒業[1]。佐藤螺子製作所(サトーラシ)や生活クラブ生活協同組合職員を経て、社会民主連合大柴滋夫菅直人衆議院議員秘書を務める。

小平市議会議員を2期、東京都議会議員(小平市選挙区選出)を3期務める。社民連の解党後は新党さきがけに入党し、さきがけ東京(新党さきがけの東京都支部連合会)幹事長も務めた。その後民主党に加わり、都議会民主党政策調査会長を務める[2]

2005年4月3日執行の小平市長選挙に、民主・共産社民ネット4党の支援を受けて出馬。自由民主党公明党の推薦を受けた現職の前田雅尚市長を破り、初当選した(投票率は、40.82%)[3]

2009年4月5日執行の小平市長選挙では、前回同様4党の推薦・支援により前小平市教育長の坂井康宣をダブルスコアで下し、再選(投票率は、39.31%)。

2013年4月7日執行の小平市長選挙では前々回同様4党および生活の推薦で、自民・公明・みんな維新4党推薦の元小平市議ら3人の対立候補を破り、3選[4](投票率は、37.28%)。

小林は初当選時に「多選自粛」を公約し3期12年で引退するとしていたが、2017年4月9日執行の小平市長選で民進共産社民ネットの推薦を受け出馬。自民党推薦の元市議など新人2人を破り4選。

小平市長[編集]

小平市は元々保守地盤の強い地域であり、東京都下で軒並み革新首長が誕生した1960-70年代にも保守市政を守り抜いたため、2005年の小林の当選により初めて非自民系の小平市長が誕生した。

05年の市長選挙では、前田雅尚市長の高齢・多選による弊害が選挙戦で焦点になった。前田は元小平市職員であり、3期12年間の市長時代に職員時代を加えれば、ほぼ半世紀以上にわたって小平市政に関わっていた。小林は、前田市政の堅実さを評価しつつも、官僚的で硬直化した市政を転換すべきと訴えた。また「情報公開」「市民参加」をキーワードに市政改革を訴え、支持政党の枠を超えて幅広い支持を獲得した。マニフェストでは自治基本条例の制定や市政課題別の公募制市民委員会の設置を訴えた。

日本共産党は当初、独自候補(小平地区労議長の山内勝男)の擁立を進めていたが、共倒れを危惧した民主党が共産党に共闘を呼びかけた結果、共産党は小林を支持した。

1期目の小林市政は従来の前田市政からの転換を図り、特に子育て支援や障害・高齢者福祉に力を入れた。また、市内全域で車座集会を開催し、市民から意見を聴く場を設けた。小林は小平市議に初当選して以来、小平市政を熟知しており、自民党や公明党、職員らを目立って敵視せず、1期目は大きな改革を行わずに堅実な市政運営を行った。ただし、小林市政は福祉政策や市民サービスの向上を重視していたため、市議会の保守系会派からは土木、建設のインフラ整備の遅れを指摘されているが、今取り組んでいる個別事業としては、駅前再開発、都市公園の整備等々ハード面が多い。

人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京都市長会/多摩26市/小平市長
  2. ^ 小林正則
  3. ^ 小平市長に小林氏/共産党など支持 自公推薦の現職破る/東京 しんぶん赤旗 2005年4月4日
  4. ^ “小林氏が3選 自・公・み・維推薦候補破る”. 東京民報. (2013年4月8日). http://www.tokyo-minpo.jp/kodairashityousen130408.html 2013年4月8日閲覧。 

外部リンク[編集]

先代:
前田雅尚
Flag of Kodaira, Tokyo.svg 東京都小平市長
2005年 -
次代:
(現職)