小松憲太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
小松 憲太 Football pictogram.svg
名前
愛称 ケンタ
カタカナ コマツ ケンタ
ラテン文字 KOMATSU Kenta
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-01-19) 1988年1月19日(30歳)
出身地 長野県塩尻市
身長 172cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小松 憲太(こまつ けんた、1988年1月19日 - )は、長野県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、MF

来歴[編集]

武蔵工業大学第二高校から東海学園大学を経て、2010年松本山雅FCへ加入。 大学時代は大学がサッカー部の強化に乗り出した時期と重なったため、1年生から主将を務めた。2014年7月、タイ・ディヴィジョン1リーグ(タイ2部相当)のアユタヤFCへ移籍[1]

2015年2月、現役を引退し、松本山雅FCユースアカデミーのスクールスタッフに就任すると発表された[2]

2017年4月から、母校の東京都市大塩尻高等学校で、体育科の教員を務めている。

エピソード[編集]

  • 生前の松田直樹松本山雅FC在籍時に目をつけていた選手である。2011年2月27日のキックオフイベントでは松田と共にトークショーに出演し、松田は「憲太にだけは怒っても大丈夫」と述べている。2011年4月30日の信州ダービー(対AC長野パルセイロ)では、勝利した後に興奮した松田から背負い投げを受けている。また松田が死去した後のインタビューでは「お前とボランチを組みたい」「お前は絶対に伸びるから頑張れ」と松田にいつも言われていた事を涙ながらに語っている。
  • 2011年は左足関節靱帯損傷と左腓骨筋腱脱臼により4月15日に手術を行い、前半戦を全てリハビリ期間に費やしたため、公式戦において松田とのボランチは最後まで実現しなかった(松田は同年8月4日に死去)。しかし復帰戦となる8月28日の長野県サッカー選手権兼天皇杯県予選決勝(対AC長野パルセイロ)では、病み上がりながら延長含め110分を走り切り、PKで予選突破を決める最後のキッカーとなった。
  • 上述のPKの際、小松は「正直、自分まで(PKが)回ってきてほしくなかった」と弱気だったが、木島良輔からビンタで気合を注入され、さらに片山真人から「マツさん(松田直樹)も見てくれているから大丈夫だ」と声を掛けられた事で落ち着きを取り戻し、冷静にゴール左隅に蹴り込んでいる。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010 松本 4 JFL 9 0 - 0 0 9 0
2011 5 2 0 - 2 0 4 0
2012 J2 22 1 - 1 0 23 1
2013 12 0 - 1 0 13 0
2014 0 0 - 0 0 0 0
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2014 アユタヤ ディヴィジョン1
通算 日本 J2 34 1 - 2 0 36 1
日本 JFL 11 0 - 2 0 13 0
タイ ディヴィジョン1
総通算 45 1 - 4 0 49 1

脚注[編集]

[ヘルプ]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]