宮田重雄
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宮田 重雄(みやた しげお、1900年10月31日 - 1971年4月28日)は、日本の画家、医師。
経歴・人物[編集]
愛知県名古屋市出身。慶應義塾大学医学部卒業[1]。1928年 - 1930年パリ・パスツール研究所に留学し、医療に従事するかわたら洋画家梅原龍三郎に師事[1]。春陽会、国画会に所属。1934年慶應義塾大学医学博士。論文は「破傷風毒素精製に関する研究」[2]。
小説の挿絵も多く手がけ、戦後NHKラジオ「二十の扉」のレギュラー出演者となって国民的に知られ、1950年成瀬巳喜男の映画『石中先生行状記』に主演するなど俳優としても活動した。また、重亭として俳句を詠み、佐瀬利五郎のペンネームで随筆も書いた[3]。
著書[編集]
- 『大同小異帖』 竜星閣 1942
- 『さんどりゑ 随筆集』 暁星出版社 1949
- 『自由学校(現代名作画全集第3巻)』1954
- 『竹頭帖』 文藝春秋新社 1959
- 編著『ユトリロ画集』1932
- 翻訳
- 『V.D.との闘い』 R.A.ヴオンダァレァ,J.R.ヘラー・jr. 評論社 1950
文献[編集]
- 泉孝英 『日本近現代 医学人名事典』2012 医学書院 ISBN 978-4-260-00589-0
脚注[編集]
- ^ a b “田宮猛雄像:宮田重雄 作”. 東京大学所蔵肖像画・肖像彫刻. 東京大学. 2010年4月6日閲覧。
- ^ 博士論文書誌データベース
- ^ 泉[2012:604]