宇野功人

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宇野功人(うの よしひと、生年未記載 - 1985年6月12日)は日本大蔵官僚

来歴[編集]

愛知県豊田市宮口町出身[1]愛知県立岡崎高等学校在学中に全国模試で1番をとっている[1]東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[2]。東大在学中に国家公務員上級甲種試験(法律職)に上位で合格。1977年 大蔵省入省(主計局総務課)。入省同期に川北力厚木進谷口博文藤井真理子らがいる。当時直属の上司であった総務課長は宮下創平、総務課の企画担当の主計官角谷正彦1980年 在フィリピン日本大使館二等書記官1983年7月 木更津税務署長1984年7月 証券局総務課長補佐(企画・調査)[3]。主に局長の国会答弁を担当[4]1985年6月12日午後1時過ぎ、本省庁舎の屋上から飛び降り、西側のコンクリートの下で発見された。死因は頭蓋骨骨折[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 石渡英『大蔵省のウラの裏がわかる本』ぴいぷる社、1989年3月発行、132頁
  2. ^ 『東大人名録 官公庁編』1986年発行、53頁
  3. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1985年発行、510頁
  4. ^ a b 大蔵エリート投身、同一の職・場所で9年前も 日本経済新聞 1985/6/13 朝刊 31頁

関連項目[編集]