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太原鮮于氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太原鮮于氏
氏族
朝鮮
領地 太原市
家祖 鮮于靖
著名な人物 鮮于筍鮮于煇鮮于煉鮮于仲皓
箕子

太原鮮于氏(テウォンソヌし、たいげんせんうし、朝鮮語: 태원선우씨)は、朝鮮氏族の一つ。本貫中国政治家箕子の出身地中国山西省太原市である。2015年の調査では3,329人[1]

箕子箕子朝鮮を建てた後、長男の松を荘恵王に、次男の仲を于山国に封じたが、仲の子孫が朝鮮の鮮と于山国の于を取って鮮于氏とした。箕子の48代子孫に箕友平がおり、箕友平が平安南道に入国したことが朝鮮の鮮于氏の始まりとなり、その子孫の鮮于靖が太原鮮于氏の始祖である。なお、友平の弟の友諒上党韓氏清州韓氏)の開祖、弟の友誠徳陽奇氏幸州奇氏)の始祖となった[2][3]

行列字

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○世孫 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41
行列字[2][4] 木部の字 火部の字 土部の字 金部の字 水部の字 木部の字 火部の字 土部の字 金部の字 水部の字

人口分布

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1930年に日本統治下で行われた国勢調査によれば当時1226所帯中770世帯が平安北道に、258世帯が平安南道に分布していた。

鮮于氏は本来朝鮮半島北西部の関西地方(平安北道平安南道平壌市慈江道)に多い姓氏であり、現在韓国に住む鮮于氏のほとんどは朝鮮戦争の時に平安道から南下してきた人々である。

歴史的に朝鮮半島北西部は箕子朝鮮衛氏朝鮮漢四郡の一つである楽浪郡が置かれた土地であり、漢民族の入植が多かった地方である。

集姓村

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脚注

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  1. KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月21日閲覧。
  2. 1 2 충북의 성씨를 찾아서(48)태원선우씨(太原鮮于氏) (朝鮮語). 충청일보 (2013年3月7日). 2023年1月15日閲覧。
  3. 유래”. 행주기씨 대종중. 2022年9月5日閲覧。
  4. 태원선우씨(太原鮮于氏)의 유래 :: 뿌리를 찾아서 :: (朝鮮語). www.rootsinfo.co.kr. 2026年6月26日閲覧。
  5. 선우씨(鮮于氏) 본관(本貫) 태원(太原)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年7月27日閲覧。

関連項目

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