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堀井雅広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀井雅広
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府
生年月日 (1951-12-04) 1951年12月4日(72歳)
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 宮沢今朝太郎(1973.3 - 1985.2)
清水美波(1985.3 - 1988.2)
フリー(1988.3 - 引退)
初免許年 1973年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1994年2月28日
重賞勝利 2勝
通算勝利 2755戦181勝
調教師情報
初免許年 1994年(1995年開業)
経歴
所属 JRA騎手(1973.3 - 開業)
美浦T.C.(開業 - 引退)
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堀井 雅広(ほりい まさひろ、1951年12月4日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手・元調教師。戸籍上の表記は雅廣である。

来歴

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中学卒業後、世田谷馬事公苑での騎手課程試験を受験したが不合格であり[1]、高校卒業後[2]、再度試験を受け合格した。

1973年、3月より中山(のちに美浦)・宮沢今朝太郎厩舎所属で騎手となる。

1985年、3月より美浦・清水美波厩舎所属となる。

1988年、フリーとなる。

1994年、2月に調教師免許を取得し騎手を引退する。通算成績は2755戦181勝。

1995年、厩舎を開業する。3月4日、初出走となった中山競馬場での第1レースは、リッチモンドロマンが6番人気で4着となる。5月6日東京競馬場での第8レースで15番人気だったマイネルエンブレムが勝利し、のべ35戦目で初勝利を挙げる。また、この年の鳴尾記念カネツクロスが制し、JRA重賞初勝利を挙げる。

2004年朝日杯フューチュリティステークスマイネルレコルトが制しJRAGI初勝利を挙げる。

2022年2月28日付けで定年のため、調教師を引退した[3]

調教師としての信条は出走回数の多さであり[4]、レースに年間300回使うことが目標であるという。関東の厩舎であるが、武豊を積極的に起用する[1]

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 181 167 231 2755 .066 .126
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1973年3月10日 未出走未勝利 アイアンナイン 15頭 10 6着
初勝利 1973年7月21日 相馬特別 リサ 9頭 5 1着
重賞初騎乗・初勝利 1973年8月12日 七夕賞 サンヨウコウ 4頭 2 1着
GI級初騎乗 1977年4月17日 皐月賞 テンザンサクラ 19頭 12 18着

おもな騎乗馬

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調教師成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1995年3月4日 2回中山3日1R 4歳未勝利 リッチモンドロマン 16頭 6 4着
初勝利 1995年5月6日 2回東京5日8R 5歳上500万下 マイネルエンブレム 16頭 15 1着
重賞初出走・初勝利 1995年12月9日 1回阪神3日11R 鳴尾記念 カネツクロス 12頭 1 1着
GI初出走 1996年11月3日 5回京都2日10R 菊花賞 マイネルスピリット 17頭 17 15着
GI初勝利 2004年12月12日 5回中山4日11R 朝日杯FS マイネルレコルト 16頭 2 1着

主な管理馬

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おもな厩舎所属者

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※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

出典

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  1. ^ a b 堀井雅広師「特別なレース」朝日杯 本当にうれしかったマイネルレコルトV”. 日刊スポーツ. 2022年1月29日閲覧。
  2. ^ “皇帝”ルドルフの母に騎乗したことも…来年で定年の堀井調教師の経験を聞き漏らさず記憶に残したい”. 東京中日スポーツ. 2022年1月29日閲覧。
  3. ^ 調教師7名が引退”. 日本中央競馬会 (2022年2月8日). 2022年2月13日閲覧。
  4. ^ 【青葉賞】堀井雅広師、ソニックが力出せるよう送り出す”. スポーツニッポン. 2022年1月29日閲覧。

関連項目

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