坂本遼
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坂本 遼(さかもと りょう、1904年(明治37年)9月1日[1] - 1970年(昭和45年)5月27日[1])は、日本の詩人。兵庫県加東郡東条村(現・加東市横谷)出身。
経歴
[編集]1904年、兵庫県加東郡東条村に生まれる[1]。父は教職で兵庫各校の校長として辺地教育に力を注ぎ、そのため家庭を顧みるいとまがなく、母が農作業に従事して一家を切り盛りした[要出典]。
1923年、関西学院大学英文科に入学[1]。同級生に竹中郁がいた。1925年、草野心平らの『銅鑼』同人となる[1]。竹中郁らの『羅針』にも参加。1926年、神戸の下宿に草野が来訪し、母校の小学校の謄写板を借り、草野が筆耕、坂本が印刷を担当して二人で『銅鑼』7号を制作した[要出典]。
1927年、姫路野砲連隊に志願兵として入隊[1]。同年9月に第一詩集『たんぽぽ』と小説集『百姓の話』を刊行する[1]。
1931年、朝日新聞に入社、京都支局に勤務する[1]。1937年、従軍記者として中国に従軍するも、三男の死亡により帰国[1]。大阪本社社会部員となる[1]。1941年応召[1]、1945年、応召解除となり[1]、朝日新聞社会部次長に就任[1]。
1948年、大阪編集部学芸部次長[1]。翌年より児童詩誌『きりん』の編集に竹中郁らと参加する[1]。1950年、朝日新聞論説委員[1]。1959年、定年退社[1]。
1960年『きょうも生きて』を出版し、厚生大臣賞・産経児童出版文化賞受賞[1]。関西学院大学、甲南大学、山手女子短大講師を務める[1]。
1970年(昭和45年)5月27日、65歳で死去[1]。告別式は同月29日、西宮市の自宅にて行われた[2]。
主な著書
[編集]- 詩集『たんぽぽ』銅鑼社、1927年
- 小説集『百姓の話』銅鑼社、1927年
- 著作『こどもの綴方(つづりかた)・詩』大阪創元社、1953年
- 童話『きょうも生きて』東都書房、1959年
- 童話集『虹、真っ白いハト』理論社、1965年
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『坂本遼作品集』駒込書房、1981年