和達孚嘉
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和達 孚嘉 わだち たかよし | |
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生年月日 | 1842年10月20日 |
出生地 | 現在の静岡県 |
没年月日 | 1919年5月 |
仙台市長 | |
在任期間 | 1907年7月2日 - 1910年7月2日 |
和達 孚嘉(わだち たかよし 天保13年10月20日[1](1842年11月22日) - 大正8年(1919年)5月[2])は、明治時代に仙台市長を務めた人物である。
静岡出身[3]。宮城県少書記官、宮城県大書記官などを歴任した[3]。
1898年(明治31年)、同年に国立銀行から株式会社に転換した七十七銀行の取締役に就任[4]。この際、和田の役職は専務取締役であり、実質的な頭取であった[4]。
その後、仙台市長を1907年(明治40年)より1910年(明治43年)まで務めた。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]長男の和達陽太郎は電気技術者で逓信省の技師や名古屋電灯役員を務めた[1]。孫の和達清夫は気象学者で初代気象庁長官である[6]。
脚注
[編集]- ^ a b 人事興信所編『人事興信録』第3版、人事興信所、1911年、わ11頁。NDLJP:779812/517
- ^ 『日本の歴代市長 第1巻』 歴代知事編纂会、1983年。
- ^ a b 獨逸学協会会員名簿 獨協中学校・高等学校同窓会、2010年5月2日閲覧
- ^ a b 郷土が生んだ日銀総裁-富田鐵之助伝 シリーズ・先人に学ぶ 『七十七ビジネス情報』 第30号、七十七ビジネス振興財団ホームページ、2010年5月2日閲覧
- ^ 『官報』第2932号「叙任及辞令」1893年4月12日。
- ^ 仙台市史続編編纂委員会 編『仙台市史』続編別巻、仙台市、1970年、273-275頁