吹上奉行

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吹上奉行(ふきあげぶぎょう)は、江戸幕府における職名の1つ。吹上花畑奉行吹上御花畑奉行とも呼ばれる。

概要[編集]

江戸城内の西の丸背後にある吹上御苑花壇築山泉水植込の刈込や手入れの指揮を職務とした[1]若年寄支配で、焼火之間詰の200俵高、役扶持として7人扶持[1]、役金10両を支給された[2]慶応3年(1867年)に、禄高に関わらず役金300両とされ、月割で支給されることになった。定員は2~3名。役所は、庭園の北側の、北桔橋(きたはねばし)の近くに設けられていた。

属僚[編集]

配下として庭之者支配、吹上筆頭役、筆頭役並、役人目付、書役、書役下役、座敷方、鳥方、御庭入口番人、薬園方、花壇方、苗木方、織殿之者、大工役之者、普請方、掃除之者、山里庭之者、御庭方、三丸明地口番人などがいた。

吹上添奉行
吹上奉行の次席で、若年寄支配の焼火之間詰。定員4名。御目見以上。100俵高で役料5人扶持と役金15両[3]を給された。奉行と同じく吹上御苑の管理を掌り[1]、添奉行から奉行に昇進した。
庭之者支配
若年寄支配で、焼火之間詰。100俵高で役扶持7人扶持を給された。
吹上筆頭役(ふきあげひっとうやく)
奉行・添奉行とともに吹上御庭を管理する職。若年寄支配で、御目見以下の譜代席、50俵高で役金は3両であった[2]正徳3年(1713年)5月2日に設置、定員は2名、焼火之間詰で町屋敷を拝領した[4]。吹上役人目付と同様、植木作りや山作りの心得のある者が任命され、後に鷹方へ昇進したという[1]吹上筆頭役並(ふきあげひっとうやくなみ)という役職もあり、これは若年寄支配で、御目見以下の持高勤で役金は13両、焼火之間詰で定員は1名であった[4]
吹上織殿之者(ふきあげおりどののもの)
吹上御庭の織殿で将軍家御用の衣類を織る役目を負った者。若年寄支配で、御目見以下の3人扶持。『天保年間諸役大概順』では1人が役金5両、2人は役金3両とある。また、『吏徴』では定員10名、役金は15両が1人、3両が1人、見習いは2人扶持となっている。江戸三番町と飯田町[5]、巣鴨[6]にある御用屋敷に出向いて、綿羊の毛を刈って和羅紗を織ったとされる[1]。羊毛が採取できない時期には、犬の柔毛を用いる場合もあったという。
吹上書役(ふきあげかきやく)
吹上御庭に関する諸々の記録を作成し、管理する職。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で役金は金1両であった[2]。定員は4名で、配下として吹上書役下役(ふきあげかきやくしたやく)34名がいた[4]。書役下役は、書役の指示で諸記録を作成する役目。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で見習いは3人扶持だった[4]
吹上花壇役(ふきあげかだんやく)
吹上御庭の花壇を管理する者。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤であった[2]。定員7名で役扶持として3人扶持を支給された[4]
吹上大工役之者(ふきあげだいくやくのもの)
吹上御庭にある建物の建築・修繕を行った。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で道具代として1年につき金5両を支給された[2]。定員6名、見習之者は3人扶持となっている[4]
吹上鳥方(ふきあげとりかた)
吹上御庭の鳥籠で飼われていた丹頂鶴孔雀家鴨などを飼育・管理する役職。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で、世話役は3人扶持に救金5両が支給された[2]。定員6名で、世話役はその中から選ばれた[4]
吹上苗木方(ふきあげなえぎかた)
吹上御庭の苗木作りや植木の栽培をする役職。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で、定員は3名[4]
吹上普請方之者(ふきあげふしんかたのもの)
吹上御庭内の大池、築山、泉水、馬場などの普請を行った。若年寄支配で御目見以下の抱席。持高勤で役金12両を支給。定員37名[4]。普請方の中から数名の者が吹上普請方組頭(ふきあげふしんかたくみがしら)に選ばれ、普請の責任者とされた。組頭は若年寄支配、御目見以下、抱席。3人扶持で、役銀13枚が支給され、町屋敷も拝領された[4]
吹上役人目付(ふきあげやくにんめつけ)
吹上御庭に携わる役人の勤務などを監察する職。若年寄支配で御目見以下の抱席。定員8名。3人扶持で、うち2名は役金13両、6名は銀12枚を支給された[4]。吹上筆頭役と並び、植木作り・山作りの心得のある者が任ぜられた[1]
吹上掃除之者(ふきあげそうじのもの)
吹上御庭の掃除を任務とした者。詳細は掃除之者を参照。
吹上御座敷方(ふきあげおざしきかた)
吹上御庭にある建物内の実務を司る職。若年寄支配で、御目見以下、持高勤の抱席であった[2]。御座敷方を統括する吹上御座敷方世話役(ふきあげおざしきかたせわやく)は、御座敷方の中から選ばれた。世話役は役扶持として3人扶持を支給され、それとは別に役金3両を例年暮れに受取った[2]
吹上御庭入口番人(ふきあげおにわいりぐちばんにん)
吹上門や吹上矢来門などを警備する門番。定員37名、目付と若年寄の支配を受け、御目見以下の持高勤の抱席であった[4]。責任者として番人の中から組頭が数名選ばれた。組頭は役扶持として3人扶持を支給された[4]
吹上御庭方(ふきあげおにわかた)
吹上御庭内の実務を行った職。若年寄支配で、御目見以下の持高勤、抱席であった[2]
吹上御薬園方(ふきあげおやくえんかた)
吹上御庭内の薬草製法所で、薬草の栽培や管理を司る職。若年寄支配で、御目見以下の持高勤、抱席であった[2]。定員は2名[7]、または1名[4]となっている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『明良帯録』より。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『天保年間諸役大概順』より。
  3. ^ 『天保年間諸役大概順』では役金5両となっている。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『吏徴』より。
  5. ^ 現在の東京都千代田区
  6. ^ 現在の東京都豊島区
  7. ^ 憲教類典』より。

参考文献[編集]