卜天与

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卜 天与(卜 天與、ぼく てんよ、生年不詳 - 元嘉30年2月21日453年3月16日))は、南朝宋軍人本貫呉興郡余杭県

経歴[編集]

卜祖の子として生まれた。弓射を得意とした。文帝の命を受けて、皇子に弓射を教えた。無官のまま東掖防関隊を率いた。元嘉27年(450年)、臧質が懸瓠を救援し、また劉興祖が白石を守るにあたって、天与は部下を率いて従軍した。北魏の軍が撤退すると、天与は輦後第一隊を率いるようになった。元嘉29年(452年)、広威将軍となり、左細仗を兼ねた。

元嘉30年(453年)、劉劭が文帝を殺害すると、天与は甲冑を着る間も惜しんで、刀を取り弓を持って、部下に出動を呼びかけ、東堂で手ずから劉劭に射かけて命中させた。しかし劉劭の兵の攻撃を受け、ひじを斬られて地に倒れ、そのまま殺害された。天与とともに劉劭を討とうとした張泓之・朱道欽・陳満らも、やはり戦死した。孝武帝が即位すると、天与はその忠節を嘉されて、龍驤将軍・益州刺史の位を追贈された。は壮侯といった。

子女[編集]

伝記資料[編集]