南陽市立結城豊太郎記念館

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Japanese Map symbol (Museum) w.svg 南陽市立結城豊太郎記念館
南陽市立結城豊太郎記念館の位置(山形県内)
南陽市立結城豊太郎記念館
山形県内の位置
施設情報
前身 臨雲文庫
南陽市立結城記念館
事業主体 南陽市
建物設計 本間利雄設計事務所[1]
延床面積 1000m2[2]
開館 1935年(昭和10年)4月29日[3]
所在地 999-2211
山形県南陽市赤湯362
位置 北緯38度2分54.3秒 東経140度9分54.1秒 / 北緯38.048417度 東経140.165028度 / 38.048417; 140.165028座標: 北緯38度2分54.3秒 東経140度9分54.1秒 / 北緯38.048417度 東経140.165028度 / 38.048417; 140.165028
アクセス #アクセスを参照。
プロジェクト:GLAM

南陽市立結城豊太郎記念館(なんようしりつゆうきとよたろうきねんかん)は、山形県南陽市にある記念館である。結城の功績の紹介や、所有していた書籍、絵画等を展示する。

概要[編集]

赤湯町出身の結城豊太郎横浜市新子安にあった別荘に所蔵していた2万冊の蔵書等を町に寄付して、1935年4月29日に赤湯町立図書館臨雲文庫として開庫した。1967年4月に町の市制施行に伴い南陽市立結城記念館と改称した[4]

1992年、市は老朽化が目立ち始めた記念館について「結城豊太郎記念館」建設推進委員会を立ち上げ、官民挙げて運動を起こすことを決定し、募金運動を開始した。募金には日本銀行日本興業銀行富士銀行などが大口協力した[5]

記念館は1994年に着工。翌年4月に開館した。工費は6億3000万円[2]

日銀仙台支店に赴任した新支店長は、着任直後に記念館と結城家の菩提寺である向陽山東正寺に参詣することが伝統的なならわしとなっている[6]

臨雲文庫表門[編集]

記念館の表門は結城が井上準之助の東京の邸宅にあったものを遺族から譲り受け、臨雲文庫の開庫にあたって移築したものである。この門は薩摩藩御隠居屋敷表門と伝わる長屋門で、明治維新の際に志士がくぐったであろう往時を偲び、故郷の若者たちが世界に羽ばたいて欲しいとの願いを込め設置した[7]

沿革[編集]

  • 1935年(昭和10年)4月29日 - 当時の赤湯町に臨雲文庫として開館。
  • 1967年(昭和42年)4月 - 南陽市の発足に伴い、南陽市立結城記念館となる。
  • 1995年(平成7年)4月20日 - 新館が完成し、南陽市立結城豊太郎記念館となる。

入館料[編集]

  • 無料

開館時間[編集]

  • 9時00分 - 16時30分(入館受付は午後4時まで)

休館日[編集]

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『郷土が生んだ三人の日銀総裁 : 池田成彬・結城豊太郎・宇佐美洵』p.119
  2. ^ a b 「山形県南陽市にきょう 結城豊太郎記念館新館完成し開館」『日本経済新聞』1995年4月21日
  3. ^ 入館のご案内”. 南陽市立結城豊太郎記念館. 2017年2月25日閲覧。
  4. ^ 『山形県大百科事典』p.1009
  5. ^ 『郷土が生んだ三人の日銀総裁 : 池田成彬・結城豊太郎・宇佐美洵』p.116 - 119
  6. ^ 『郷土が生んだ三人の日銀総裁 : 池田成彬・結城豊太郎・宇佐美洵』p.120
  7. ^ “みちのく建物探訪 南陽市 臨雲文庫表門 「志士の思い」伝える /山形”. 毎日新聞. (2017年6月8日). https://mainichi.jp/articles/20170608/ddl/k06/040/359000c 2018年6月9日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 山形放送株式会社山形県大百科事典事務局編 『山形県大百科事典』山形放送、1983年。
  • 金田祐作『郷土が生んだ三人の日銀総裁 : 池田成彬・結城豊太郎・宇佐美洵』米沢信用金庫、2006年。

外部リンク[編集]