北センチネル島

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座標: 北緯11度33分 東経92度14分 / 北緯11.550度 東経92.233度 / 11.550; 92.233

アンダマン諸島と北センチネル島の位置(赤)
北センチネル島の航空写真(NASA)
北センチネル島の地図

北センチネル島(きたセンチネルとう、North Sentinel Island)はインドアンダマン諸島中の島。インド洋東部・ベンガル湾内にあり、アンダマン諸島の南西部、南アンダマン島の西、約30キロメートルに位置する。行政面では連邦直轄のアンダマン・ニコバル諸島に属する。

概要[編集]

島には先住民でありセンチネル語を話すセンチネル族が50人から400人程度[1]居住していると見積もられている。言語が他のアンダマン諸島に住む部族と大きく異なることから、数千年間、他の島と交流せずに暮らしてきたと考えられている[1]。彼らは科学技術を有さず、外部との接触を拒否しており、アンダマン・ニコバル諸島自治政府も干渉する意向を持っていない。2004年スマトラ島沖地震に際しては、救援物資輸送のヘリコプターに対し、を放っている。2006年には、カニの密漁をしていたインド人2人が、寝ている間にボートが流され北センチネル島に漂着した結果、矢で射られ殺された。インド政府が2人の遺体を回収しようとヘリコプターで向かったが、矢を射掛けられたため回収することができなかった。この事件は人が殺されているにも関わらず、島が「現代社会の一部ではない」として放置されている[2]

地理[編集]

島の形状は、スマトラ島沖地震発生前は、約72平方キロメートルのほぼ正方形であり、サンゴ礁に覆われていた[3]。海岸周囲の等高線が狭く、狭い砂浜の先ですぐ先で標高20メートルほどになる。その後も徐々に標高が高くなり、最高地点は標高98メートルである。地震発生によりプレートが傾いた影響で1〜2メートルほど隆起し、周囲のサンゴ礁が露出した。島の内部は森林で覆われている。

政治[編集]

1880年に当時の統治国であるイギリスが初めて島を探検、住人6名を捕えポートブレアに連行しているが、2名が病気で死んだため、残りは島に戻された。[1]

1947年以降、インドの連邦直轄領に属していることになっている[4]。 しかし、島民とはいかなる条約も結んだことがなく、事実上島民の主権が認められている状態である。 そのため、インドの自治区の一つと捉えられる。

1960年代以降、何度か住人のセンチネル族との接触が試みられており、ようやく1991年に矢を降ろさせることに成功した。しかし、1990年代の半ばには当局の方針が転換。同じアンダマン諸島に住むジャラワ族との接触が、その後、病気や文化的な衝突を引き起こしたことから、センチネル族に対しても積極的に接触を試みないことになった。そうして政府の交流プログラムは1996年に中止された。[5][1]

アンダマン・ニコバル諸島当局が発行した文書によれば、センチネル族は現代文明を必要とせず干渉も求めていないとして、一切関わらない方針である。[2][6]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Daniel 2014, p. 204.
  2. ^ a b Bonnett 2015, p. 98.
  3. ^ George Weber. “The Andamanese - Chapter 8: The Tribes(英語)”. pp. part 6. The Sentineli. 2013年3月6日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ George Weber. something missing"The Andamanese - Chapter 1: Contact" Retrieved October 8, 2011. [リンク切れ]
  5. ^ Bonnett 2015, p. 96.
  6. ^ Subir Bhaumik. “Extinction threat for Andaman natives”. 2005年5月5日閲覧。

参考文献[編集]

  • アラステア・ボネット 『オフ・ザ・マップ 世界から隔絶された場所』 夏目大訳、イースト・プレス2015年ISBN 978-4-7816-1292-8
  • ダニエル・スミス 『絶対に行けない世界の非公開区域99 ガザの地下トンネルから女王の寝室まで』 小野智子(訳)、片山美佳子(訳)、日経ナショナル ジオグラフィック社、2014年ISBN 978-4-86313-301-3

関連項目[編集]