八戸らーめん

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八戸市「八食センター」の八戸らーめん

八戸らーめん(はちのへらーめん)とは、青森県八戸市で食されるラーメンご当地ラーメン)。

概要[編集]

東北新幹線八戸駅延伸開業を機に、地元で約70年余りの歴史を持つご当地ラーメンを2002年10月より市内の各店にて出している。「八戸らーめん」は八戸らーめん会の登録商標である。

八戸らーめんの特色[編集]

南部地鶏と白銀産の煮干でだしを取った特製の醤油味のスープで、名川産の長ネギ・田子産のニンニクなどと言った地元の食材を使い、麺は手もみの縮れ麺が特徴。

トッピングはシンプルなチャーシューメンマ(シナチク)の組み合わせ。

冷やし八戸中華[編集]

八戸らーめんの販売開始5周年を記念して誕生した夏向けの新製品で、たれに青森県産りんご酢を使い、具材をチャーシュー・トマトキュウリもやしが基本で、麺にレタスワカメを盛りつける。

八戸らーめんの開発・復刻[編集]

元々は新幹線八戸駅実行委員会が東北新幹線八戸駅延伸開業に伴い開発・復刻されたものである。

八戸市では昔から煮干をベースにしたラーメンが食されていて、その起源は大正時代に中国人が八戸で煮干だしのラーメン店を開業したことに由来する[1]

しかし80年代頃から煮干だしのラーメンは次第に若者に敬遠され廃れていったため、新たに再評価のきっかけとすることも目的とした[1]。開発当初は海鮮素材を使ったラーメンも想定されていたが、最終的には煮干だしのシンプルなスタイルに落ち着いた。

なお、同時期に新横浜ラーメン博物館が企画し、佐野実がプロデュースした「八戸支那そば」があるが、内容が異なりあくまでも別個のものである。

沿革[編集]

  • 1923年(大正12年)頃 - 東京で十数台のラーメン屋台を経営していた中国人・鄭克銓(ていこくせん)が関東大震災で被災し八戸町十八日町に移住。
  • 1928年(昭和3年)- 鄭克銓が中国・福建省から陳という中国人を呼び寄せ、煮干・地鶏ガラ等を使った支那そばを開発、八戸町六日町に「来々軒」を開店。
  • 2002年(平成14年)9月2日 - 「八戸らーめん会」を発足。
  • 2003年(平成15年)11月 - 「八戸らーめん」の販売数が1年間で100万食を突破[2]
  • 2007年(平成19年)5月19日 - 「冷やし八戸中華」発売開始。

普及に向けての取組み[編集]

八戸らーめんを普及させるため、2009年8月25日から、八戸市内の小中学校の給食で「冷やし八戸中華」が登場した[3][4]

取り扱い店[編集]

八戸市内のラーメン店にて食べることが出来るまた、自宅でも楽しめるよう、土産用のものも販売されている。

冷やし八戸中華も八戸らーめんを取り扱っている一部の店にて食べることが出来る。こちらも土産用のものも販売されている。

出典[編集]

  1. ^ a b 「『八戸ラーメン』どう復活」2002年2月10日「東奥日報
  2. ^ 「発売開始1年100万食を突破」2003年11月11日「デーリー東北
  3. ^ 「八戸らーめん給食に」2009年8月21日「東奥日報」
  4. ^ 「冷やし八戸中華の給食人気/八戸・小中学校」2009年8月26日「デーリー東北」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]